2013年12月20日金曜日

いま、命を絶とうとしている人へ。 ~おおかみこどもの雨と雪~



地上波で、「おおかみこどもの雨と雪」をやっている。この映画が好きとか、嫌いとか、そういうのはよくわからない。

それ以前に、あまり直視してこの映画を見られないからだ。



彼がおそらく生きていたら、この映画やこの作画や、このテイストがとても好きだっただろうし、おそらく彼が作ろうとした映画も、こういう感じに仕上がっていたのだろうな、と思う。

私は彼とはまったくちがう人格であるのに、彼が生きていたら「おおかみこどもの雨と雪」を絶賛したに違いない、ということだけは、わかっている。

それを確かめることは、すでにもうできないのだが。

なぜ、彼がこの映画を好きにちがいない、と推測しかつ断言できるか、といえば、

彼は私の一番弟子であり、

私の一番の友人であり、

一番のライバルでもあったからだ。




今年は彼が亡くなってから7年も経つらしい。あっという間の7年であったし、まだ7年なのかという感じもある。

昨日のことのようであり、はるか昔のことのようでもある。



それでも、こっち側の我々は生きていて、彼は死んでしまった。

いいこともわるいこともたくさんあったが、やっぱりこっち側で生きているほうが、いいと私は思う。

絶対に生きているほうがいい、と私は思う。




この7年間、彼に見せたかったものが山ほどあるし、彼にやってほしいことも山ほどあったし、彼とやりたいことも山ほどあった。しかし、それらが全く全然できない、ということは、壮絶に悲しいことだ。

彼が生きていたら、おそらく今の私なんかより、はるかに大きな人物になっていたにちがいない、と思う。

彼に負けないように、成果を残そうとしている私がいるが、おそらく永遠に彼には勝てそうにない。



物語は進行しているが、相変わらずテレビ画面を直視できそうにない。

ほんとうにあの世とやらがあるのなら、どんな手段でもいいから化けて出て来い、と心から思う。

話したい事は山ほどあるし、聞きたいことも山ほどある。

だが、それは絶対に叶わないことなので、心底悔しくて仕方がない。




もし、どこかにこれから自分で自分の命を絶とうとしている人がいるなら、やめとけ。

いや、やめてくれ。お願いだからやめてほしい。

あなたと話がしたかったり、あなたの話を聞きたいと思っている他人が、かならずどこかにいるからだ。

2013年11月19日火曜日

スタンプメーカー ポムリエがすごい?!



こんにちは。

先日の手作り文庫本ワークショップは、無事開催&超盛り上がりで楽しかったです。参加してくださった方、覗きにきてくださった方、ありがとうございました。

文庫本作りの技術は、ノートやメモ帳作りにも応用可能なので、ぜひとも一度体験してもらいたいところ。ご希望・ご要望があれば出来る限り対応しますので、ご連絡くださいませ。




さて、今日はzineやら手作りグッズの作成に便利なスタンプメーカーが発売されたのでご紹介。

casio スタンプメーカー ポムリエ


<画像はメーカーサイトからの引用です>




なんと、パソコンやらスマホから図案をデザインして専用シートに印刷すると、「シャチハタみたいなスタンプ」が作れてしまうという!

この秋販売されたばかりらしいです。じゅるるる。ほちい。

価格も一万円弱ぐらいと手ごろなので、面白そうです。

zineのシリアルナンバー入れや、私の場合は楽器のラベルづくりなどに活用したい気がします。




2013年10月30日水曜日

zineの作り方番外編 A4プリンタには隠された能力があった!

こんにちは

zineづくりに励んでおられるみなさんには、ご機嫌うるわしゅう。

さて、今日は、誰も知らない知られちゃいけない♪ あんな秘密を大公開!

(元ネタはデビルマンです。年齢がバレます)

いま、zineづくりの主流はA5サイズの中綴じzineが多くなっていますが、その理由はみなさんが個人的に使えるプリンタがA4サイズのマシンである、ということも大きな理由だと思います。

業務機や会社にあるコピー機などだと、A3から自由に出力できるものが多いですが、さすがに会社の備品を使うわけにもいかないので、zineの製作者さんたちは、おうちにあるA4プリンタを使っておられることが多いのではないでしょうか。


では、A4プリンタで作れる本って、どんなサイズになると思いますか?

「まずは、A5サイズの中綴じ本だよね!」

そのとおりです(^^

「小さいほうは、豆本から作れるし、A6サイズの文庫本も作れそう」


はい、そのとおりです。ちいさい本もOK、文庫本もOKです。





実際、上記のふたつはわたしもふだんから作っていますので、ばっちりです(^^





さて、ここで少し考えてみてください。



「本格的な装丁の、いわゆるハードカバー単行本はつくれるでしょうか?」



答えは、ノーです。



きちんとした製本をしようと思うと、単行本サイズ(かりにA5サイズ単行本としましょう)の本文用紙は、それより大きい紙を2つ折りにしてかがってありますから、A4プリンタで作れそう・・・・、ですが。



残念なことに、表紙部分は、それより大きい紙を折りこんで作るので、表紙が作れないことになるわけです。





では、「単行本サイズの無線綴じ(簡易装丁)本はつくれるでしょうか?」



どう思いますか?



答えは、イエスなんです!



ちょっと想像してみてください。頭の中でイメージすると、かしこい人は「うーん、やっぱりむずかしいんじゃないの?」と思うと思います。



「たとえば、A5サイズの本文はOKだとして、それをくるむ表紙は、A5×2、それに本文の厚みの分だけ必要なんだから、A4からは長さが足りないはず」



ということ。



「すっごく薄い本で、厚みがほぼ無視できるとか、逆に本文用紙を少しカットするならできそう」



という代案もありそうですね(^^



ところが、実はそうではないのです!

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私たちが手元に持っているプリンタは、日本国内ではA4プリンタと言われていますが、外国へ輸出されるときは、A4サイズの紙だけを相手にしているわけではありません。

たとえば、アメリカでは「レターサイズ」なんて寸法の用紙がたくさん用いられているし、タイプライターの時代から、インチ計算の用紙がふつうにそこらへんにあったりするわけです。

さて、アメリカの公文書に用いられる「リーガルサイズ」という紙を知っていますか?

これは、215.9×355.6というサイズなんですが、リーガルというだけあって、法律文書・公文書などに多く用いられているそうです。

ということで、A4プリンタは、海外規格も考慮されているので、実は
「リーガルプリンタなのです!!!!」


これが、いったいどういうことかというと、写真を見ればわかります。

イメージ 1
リーガルサイズというのは↑こんなの。

詳しい寸法は調べてもらえばいいのですが、ざっくり言えば

「幅はA4よりちょい大きくて、長さはB4よりちょい短いくらい」

になります。横に長い!!!

ためしに、A5サイズの本文を載せてみます。

イメージ 2
はい!どうですか?これくらい余裕のある大きさまでA4プリンタは印刷できるのです。

これで勘のいい人はわかったと思います。

「おお!じゃあ、A5サイズ、くるみ製本の無線とじなら、辞書くらいの本まで作れるね!」

ということ。

イメージ 3
↑こんな感じの本まで、作れちゃいます。(ただし、表紙は一枚モノのくるみ製本ですが)

 すごいポテンシャルでしょ?!A4プリンタ。

 みなさんの手元のプリンタの性能表をみてください。かならず、最大印刷可能寸法は、リーガルサイズになっているはずです。

 というわけで、ぜひ中綴じ本から無線とじ本へとステップアップしてみてくださいね!


 ちなみに、表紙に使いたいリーガルサイズの紙は、B4から切り出して作りましょう(笑)

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★無線とじ、ボンド製本のすべてがわかるワークショップ開催。
 11月10日(日)兵庫県立丹波並木道中央公園さんにて★

一回覚えれば、死ぬまで応用が効く、「ボンド製本」のワークショップです。

木工ボンド系使用の湿式の方法と、ホットボンド併用の乾式の2種類をおりまぜてレクチャーします。


作るのは文庫本サイズですが、基本を覚えればどんなサイズでも製作可能です。

費用は600円。

申し込みは、公園事務室まで TEL 079-594-0990

2013年10月28日月曜日

「はじめてのzine」ワークショップ第十六回 無線綴じzineを作る

こんにちは

 zineに関係するいろんなところで告知をしているのですが、当ブログでもお知らせしておきます。

 平成25年11月10日(日) 手作り文庫本を作るワークショップやります~

  私はゲスト講師でございます。

 


 場所は兵庫県立丹波並木道中央公園さん(篠山市 JR福知山線丹波大山駅下車すぐ)

 あらかじめキット化した材料を使って、糊(ボンド)だけで製本する「無線とじ」の本を作ります。

 詳細はこちら

 ↓

丹波並木道中央公園さんのページ



で、遠方のため参加できない!という方も多いと思うので、無線とじ本の作り方を動画にしておきました。

ワークショップの当日も、これに準じた方法で製本します。(ほかにいろいろ細かいコツはお教えしますが)

zineの作り方 ~手作り文庫本の作り方~

 A4プリンタで材料を印刷して製本する場合、おおむね同じような作業内容になると思います。

 ボンド製本をやってみたい!という方はご参考になさってくださいね。

 自作ライトノベルなんかを文庫本にしたい人には、まさに最適です。

2013年10月23日水曜日

「はじめてのzine」ワークショップ第十五回 『1paperzine-12』の巻

 こんばんは

ゆっくり更新中の松尾バイトです。

さて、もうずいぶん前にネタが終わって?いた「はじめてのzine」シリーズの記事ですが、今回はなんと新ネタで更新です!

とにかくzineに関する最新情報をお伝えする、ということで、今日は「1paperzine」のニューバージョンについてお届け!

 1paperzineという名称は、主にzine部関係のメンバーで使われているのですが、世間では「折り本のzine」とか「1枚の紙で作るzine」とか、「8P折り本」とか呼ばれているアレです(^^

zineを作る人たちの間で広まってきているからか、PC上でこの1paperzineを作るツールも少しずつ登場しているようで、ブラウザ上で動作するものやwindows上で動作するものなどがありますよ!


さて、今日は、そんな1paperzineの新型をご紹介します。

題して「1paperzine-12」!!!

12ページの大容量に進化した1枚モノzineですよー!!




とにかく実際の型を見てみましょう。これまでと同じように切れ込みをひとつ入れて作るのですが、

あ、図に切り込みの箇所書くの忘れた!!!

⑥から⑨の間の横線のところだけ、切込みを入れてください。



⑤  ⑥  ⑦  ⑧  ⑨  ⑩

○○=========○○

④  ③  ②  ①  表  裏



(======部を切ります。)



通常の1paperzineを作ったことがあるひとなら、理屈はわかるはず。全く原理は同じです。

8ページバージョンの折り本とどこが違うかと言えば、1ページの部分が「3分割」になっているところ。


折った図は↑こんな感じ。中心部分はくっついていないので、折り込んで納めます。

さて、この”1paperzine-12”は、構造上ふつうのA4用紙などで作るとかなり縦型になります。

ということは横書き文書より縦書き文書の方が合う、ってことでもあります。



☆元ネタは、8P折り本などで短歌zineを作っておられる

http://blog.goo.ne.jp/imawik/e/7f8c5658e29fd701907794c060324aaf

のみなさんの作品です。(北緯43度 村上きわみさんのページ)

☆ただ、12Pバージョンの発案者が村上さんたちなのかどうかはわかりませんでした!他にネタ元があるかもしれません。

☆↓のわたしのバージョンでは、表紙位置を変えてあります。右開き本の場合、わたしはめくる表紙が二重になってぺらぺらするのが嫌なので、折り目がくるようにページの割り振りを変えます。



で、さっそく縦書きレイアウトを生かしたサンプルを作りました。

練習がてら作ってみてくださいね!







ネタはもちろんあの国民的「ひ弱男子と金髪娘」!かなりオマージュ満載ですが、元ネタから離れて読んでも成立するように作っています。

楽しんで~!

2013年10月10日木曜日

奈良美智さんとラッセンさんと村上隆さんについてのあれこれどれそれ

こんばんは

 アートとクリエーションにまつわるいろんなことが巻き起こっている最近ですので、一応触れておきます(^^

 こんな貧相なブログですが、期待してくださっている方も多いようなので・・・。ありがとう浜村淳です。

 
 さて、今週に入ってからアート界をにぎわしている(?)奈良美智「ラッセン嫌い」騒動。


 概要はこちらから↓(j-castニュースさん)


 
 まあ、簡単に言えば、「ラッセンファンと、奈良美智ファンがかぶっているかどうか」のあたりから、芸術論へと微妙に発展していくわけですが、奈良さんは、自身のファンがラッセンファンとかぶっているんだったら、超心外なんだそうです。

 アート、芸術というのは、究極的には「創作物に対しての解釈の違い」ですから、ある作家のファンというのは「その作家に対して共通認識のある解釈者・理解者の集い」と考えることができます。

 そのとき、Aという作家のファンとBという作家のファンを並べてみると、それらが「同じくくりで見れるか、見れないか」「芸術的な共通項があるか、ないか」あたりが議論になっていくのでしょう。

 
 それこそ解釈はいろいろあるでしょうが、一連の騒動は

「奈良美智さんの芸術性とラッセンさんの芸術性に共通項はあるか」

という点においては、議論になっていません。

それより

「奈良美智さんの商業的取り扱いとラッセンさんの商業的取り扱いに共通項があるのか」

というあたりのツッコミからスタートして、ちょっとずつベクトルがずれて

簡単に言えば

「奈良美智ファンのミーハーさと、ラッセンファンのミーハーさに共通項があるのかないのか」

が議論の中心へ移っているような気もします。私の理解不足だったらごめんね・・・。


 さて、そもそもファンとは「解釈者・理解者」なのですから、奈良さんからすれば自身のファンは、「自身の理念・考えがある程度伝達された相手」と考えるのがふつうで、もちろんその文脈で語っておられます。

ところが、商業セカイにおけるファンとは、一方で「ミーハー的に、「まぢこれ可愛い!」」という真の理解者ではない、表面的共感者をも含みます。

そもそもの議論は「奈良美智ファンと自称する表面的共感者とラッセンファンを自称する表面的共感者は、表面的共感者という意味において似ている」ぐらいの話なのでしょうが、それが「真の理解者なのかどうか」になってくると、こいつはどうもいけねえ。ってことに(苦笑)

なんでいけないかというと、「真の理解者にだけ伝達しているのが芸術なんだったら、商業セカイで販売するのはやめちまえ」になるし「表面的共感者(カワイイ!っておもってくれる一般ピープル)をバカにしてんのか」とか、そういうことにもなるからです。

ああ、やっかいやっかい猪八戒。

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そんな折、あの村上隆さんも、ツイートしてるもんだから面白い。


こちらは「なんでオレばっかり嫌われるんじゃ~」という意味の内容をつぶやきまくっておられます。

この話も根底ではつながっていて、奈良美智は芸術で、ラッセンは商業芸術で、村上隆はむしろ商業そのもの、みたいな暗黙のくくりがセケンの論調としてあるから、村上さんとしては、困ったなあとお思いになのも仕方ないというか・・・。


ちなみに、私は村上さんは「芸術界にパトロンたる貴族層なきあと、至極まっとうなことを言っている」と思うのですが、やっぱり直接的にそれを言ったらおしまいよ的オーラもあるようなないような(^^;

村上さんの理論は

「芸術起業論」

という本にまとめられているので気になる方はどうぞ。

お金学さんのブログで簡単にまとめられているので↓おすすめ。



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翻って、ボクタチあたしたちのやってることは、「芸術」??それとも「アート」??、はたまたただの「モノづくり」??

クリエータであることって、崇高な理念と毎日のショボイ生活とのハザマの中で、上いったり下いったり、迷ったりするこの「今」なんだと思います。

商業的に成功した作家さんは作家さんで「オレっていま芸術なのかな?それとも商業に成り下がってんのかな」と悩むだろうし、逆に市井の食えない作家は「商業的にも成功したいなあ」って素直に思うだろうし。

まあ、みんなで悩みましょう!それこそが生きている証!

2013年10月9日水曜日

仕事をしながら創作するということ。 二足のわらじのクリエータ。



おひさしぶりです。

 毎度、かなりの激務に励みながら時間を見つけてこれを書いています。今月は、朝4時台から仕事をしたり、それほど早くなくても6時台から現場に向かったりしていたので、ひとことで言えば「眠い!」以上。



 というわけで、バリバリ通常の仕事をこなしながら、創作活動にもいそしんでいるわけですが・・・(^^;

 zine関係の展覧会に出品していたのでその製本に追われたり、もうちょっとしたら神戸の某お祭りのブースで、別名義がらみの生出演があったり、まあ、どっちも忙しいです。




 さて、今日は、面白そうなネタがあったのでご紹介。

 話題の本の著者に直撃!のコーナー <現代ビジネスさんの記事より>

 「桐島、部活やめるってよ」の作者である浅井リョウさんのインタビュー記事です。

 ぜひ、お読みください。



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 直木賞作家の浅井さんは、なんとプロの作家でありながら、会社に就職して2足のわらじを履いておられる、とのこと。

 いつもクリエータ養成講座でも言ってますが、アマチュアクリエータだからこそ、「今の仕事」を大事にしなさい、ということを裏側からみた感じで、たいへん興味深く読んでしまいました。

 浅井さんは、専業作家ではなく、いわゆる社会人であることで、いろんな「バランス」を取ることを重視なさっています。
 プロがあえてそういう視点で語ってくださることは、ぼくたちわたしたち「クリエータをめざすもの」にとっても大事なポイントだと思うのです。




 さて、似たような話をもうひとつ。私はふだん某ちょっとだけ伝統技能っぽい業界にもからんだ仕事をしていますが、その業界では「いろんな造形物を作る」という仕事があります。

 私は取り扱い業者なので、その造形物を仕入れたり販売したり、特注の際には発注したりするのですが、とあるメーカーに面白い方がいて、彼はもともと東京の某有名フィギュアの会社に所属していたりした、プロのクリエータさんなのです。

 ところが、その彼は今、玩具やフィギュアとはまったくちがう別の畑で、ふつうの会社員としても仕事をなさっています。会社のほうも彼の経歴を十分理解していて、もともと我々の業界が「造形物」をつくる仕事内容があるもんだから、その専門家として招いているわけです。



 会社は、東京からみたら超ド田舎村にあります。彼はその地方に住んでいながら、もちろん今も東京とやりとりもしているし、有名漫画家さんや有名出版社等ともおつきあいがあるし、でもふだんはその「ふつうの人は誰も知らないような会社」で会社員をしているのです。

 先日、私は仕事がらみで、その造形物の補修に使うパテのことでいろいろ電話口でお話させてもらったのですが、担当の営業マンさんから「実はさっきの人はこれこれこういう方なんですよ」と教えてもらってビックリした次第!!




 モノを創造する仕事、というのは、ある意味会社に属していてもできるし、そうでなくてもできるし、面白いなあ。彼の働き方も、すばらしいなあ、と思っています。

 (ほんでまた、東京一辺倒のこのセカイの中で、地方で仕事をしているところが超クール!だと思いませんか?)

2013年9月10日火曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」4】  自分の作品に、責任を持つとは?




 またまた忙しくて、更新が滞っていた松尾バイトを許してください。心より謝罪します。



 さて、意外にみなさんが楽しみに待っていてくださる「クリエータ講座」ですので、ご期待に沿うべく、新記事投入です。



 今日は、みなさんの技能向上にはあまり役に立ちませんが、心構えにおいては大事なポイントをご紹介します。

 というわけで、本日の課題文はこちら

 「とりマリの当事者対談 ~映画『テルマエ』のヒットで夫婦間が険悪になりました~」

 超一級のクリエータである「ヤマザキマリ」さんの問題提起とは何か!一緒に考えてみましょう。

 ヤマザキさんといえば、先日テレビの番組で映画版「テルマエ・ロマエ」の原作料がいくらか、ということを発言なさって、いろいろと物議をかもしたことが思い出されると思います。



 上の記事は、その件の詳細な補足であり、解説になっていますので、ぜひご一読ください。

 細かいことは、ここでは書きませんが、この話のポイントはどこか、というと。

 一流の漫画家さんであるヤマザキマリさんの作品においても、その著作権の権利部分の大半は、出版社にゆだねられていて、ヤマザキさんに有効な行使権が与えられているのではない

ということです。




 もっと、簡単に言えば、「有名漫画の作品の権利の主要な部分は、漫画家ではなく、出版社が持っている」という感じでしょうか。

(厳密にはいろいろと語弊があるかもしれませんが、ざっくりと)


 私も、実は某出版社と契約して、作品を世に出しています。なので、その契約条項を頭にしっかり叩きこんでいるのでわかるのですが、ヤマザキさんのように、「私の作品の首根っこは、出版社がにぎっている」形になっています。

それは、悪い意味ではまったくなく、「私一人が勝手に好きなように扱えない」ようになっており、「ざっくりといえば、共同的に権利を所有している」というスタイルである、とでも言えばいいでしょうか。


 さて、この話、ヤマザキさんは的確にツボを書いておられるのですが、

 読み誤ってはいけないのは

「ああ、作品の権利は、クリエータ本人が持つんじゃないんだ」

とその点だけを見て、もやもやしてはいけない、ということです。

 問題はそこではなく、これまでの日本のクリエータと出版社の関係が、

「ややこしい権利問題は出版社が丸抱えすることで、クリエータが自主的になんにも考えなくてもいいようなシステムになっている」

という所が真のポイントなのです。つまり、クリエータ側も、これまで単純におんぶに抱っこされてたことが問題だ、と。

比較として上がっているのが、海外における「契約」のスタイルですね。

海外では、なんでもかんでも先に契約をして、それを守り通すのがクリエータとプロデュース側の約束事になっています。

それが日本では、クリエータ側は何にも文句も言わないし、自分でも考えることをしない文化になってしまっている、ということ。




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そして、次に新たな展開が待っています。

このことに気付いたヤマザキさんは、自分もきちんと事態を把握することで「このままではいけないので、日本流クリエータシステムを変えなきゃいけない」と思い、行動に移したわけです。

出版社も、編集者も、そして、クリエータたちも、これまでのスタイルにあまり意義を唱えず、「これでいいんじゃない」と思っていたことが、そもそもどうなの?と。

もう少し、きちんとしようよ!ということですね。

では、このことを当クリエータ講座的には、どう捉えたらいいのでしょう。

それは簡単です。




アナタ・ワタシがいま

「自分がいい作品を作ったり書いたりして、それがなんとか賞に認められて、デビューできたらいいな」

と思っているとしたら、それがそもそもの間違いだ、ということです。



出版社やプロデューサーが王子さまのように、アナタを発見してくれて、そして宮殿へ連れて行ってくれる、という物語そのものが、完全に「おんぶにだっこ」わけですから、

もっと自分の作品に、独立した自分として責任を持って当たれ、ということになってきます。

それは、これまで創作だけに専念できたクリエータにとっては、営業能力と交渉力と法律知識を持たないとダメだ、と言われてると捉えてもかまいません。

究極的には、自分の作品という商材で、どう経営するのか、ぐらいの勢いがあっていい、ということです。

まあ、あいかわらず厳しい言い方をしていますが、こういうことを頭の片隅にちょこっと置いておくだけで、心がひきしまるのではないでしょうか(^^

アナタを愛してるので、ここまで厳しく言ってます。がんばってください!




<実習> 課題文を読んで、自分なりに気になった点や、感想をまとめてみよう

ではでは。

2013年9月3日火曜日

zineがらみの途中経過

 こんばんは


 ちょっと間があいてしまいましたが、またぼちぼち再開します。



 今日は、zine関係の進行状況をいろいろと。





①手作り文庫本のマニュアルづくり



 お願いしていたイラスト原稿が上がってきたので、それを使いながら手作り文庫本のマニュアルを作っています。



 あんまり分厚いものにはなりません。というかマニュアルそのものがzineみたいなものになりそうです。



 ざっくりと出来上がったら、果たしてそのマニュアル通りにやって文庫本が作れるのか試運転してみないといけません。



 そうこうしているうちに「zine×jin展」






に送るzineも作らないといけないので、けっこうあわただしいかも・・・。





②ライトノベル「zine部!」第二巻の下準備



 絶大なる信頼を置いている某人物に校正をお願いして、ざっくりとこれも指示が上がってきましたので、絶賛修正中です。



 これもじわじわと作業を進めていきます。





☆そんなこんなですが、実は裏で「楽器個人レッスンの依頼」が入っていたり、楽譜のコード起こしを依頼されていたり、出版物の発送業務が待ち受けていたり、いろいろ仕事が入っています。



あと、本業の新入社員の指導とか(笑)





ああ、体がいくつあっても足りません。

2013年8月27日火曜日

心の病とメンタルについて考えてみた

こんばんは


今週はやたらと忙しくて、日中はバタバタ走り回っていますので、日没後にネットに向かっております(^^;


さて、講義のほうは本日はお休み。今日は「心の病」について思うところをつらつらと。


藤圭子さんがお亡くなりになって、報道がかなり過熱気味ですが、ここではそのことについては触れません。


ただ、いろいろな形で「心の病」にかかる人がかなり増えている昨今ですので、すこしだけ。


私は、前職の仕事柄、そうした「心身の病に困っている方と、いくぶん他の人より多く出会ってきた」ので、いつも何か力になれたらいいなあ、とは思っていますが、いかんせん医療のプロフェッショナルではないので、うまくいかないこともあります。


実は、友人の中にもそうした病を抱えている人がいて、その人とは喧嘩別れ?のような状態のままになっていることもあり、ずっと心配しています。


そもそも、健康な人と病を抱えている人とは、ある事象に対しての受け止め方が大きくことなることもあるので、難しいものです(^^;



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それはさておき、私は心の病の多くは「あるべき自分像と現実の自分像の乖離」によって引き起こされると考えています。


あるべき、というほど強いイメージではないかもしれませんが、人は基本的に自分の社会的立ち位置の感覚や、だいたい自分の姿はこうありたい、というニュアンスのようなものを漠然と持っています。


そういう感覚は、自分の中で「正義」であったり「正当な状態」であったり、「理想」であったり、「善」であったり、なんとなくプラスのイメージ、正しいイメージで保持されています。


ところが、現実社会における自分像は、なかなかそれと合致しません。



 それは、環境による原因だったり、自分の行為による原因だったり、究極的には自分の能力の限界だったりもするのですが、とにかく、このセカイに生きている限り、自分の正のイメージに対して「ずれ」が生じます。

このずれを解消しようとして、人はもがくのですが、なかなかそうはうまくいきません。

この活動のうちに、心身が疲弊してくるので、心の病に至るのではないか、と考えるわけです。

では、この「ずれ」を修正するには、どうしたらいいのでしょうか?




ガッコウの教科書的に言えば、「理想の自分になれるよう努力すればいいんじゃない?」とでもなるでしょうが、そう簡単なものではないでしょう(苦笑)

むしろ、そのずれを解消すべく「努力する」というのがいわゆる「うつ病の人に頑張れと言う」ことにつながるわけですね。つまり、そりゃ、うまくいかないことがだんだんわかってきています。



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メンタルヘルスの専門家たちは、このずれを解消する方法として「認知を改める」という方法をとらせることが多いようです。

簡単に言えば、そもそも「あるべき正しい姿」の設定そのものがどうなの?もしかしたら設定が間違ってるかもしれないよ?というあたりから修正していくということです。


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えーっと、実はワタクシごとで恐縮なのですが、私も一度だけ心の病的なものにかかったことがあります。(もう十年以上前のことです)

そのときは、とにかく脳みその中のアイドリングが常に高い状態で、わかりにくいかもしれませんが「脳の中が常にフル回転でぎらぎらしている」みたいな感じでした。

お医者さんに、安定する薬を処方されたのですが、体の外側こそ「ほわーっと」しているようでしたが、頭の内側はやっぱり「フルスロットル」だったので、

「薬なんて効かんわ!」

とずっと思っていました(笑)

まあ、その後、私自身はこの世界に対して悟りを開いた(笑)ので、そんな心の病にかかることはまったくなくなったのですが、心身症の時のあれは今思い出しても大変な体験でした(苦笑)




悟りを開く、というのは、別に宗教的な活動をしたとか、そんなのではありません。これはまあ、ボチボチどこかでお話することもあるでしょうが、たぶんふつうの人には言ってもわからないので言いません(^^;

あ、簡単に言えば(←言わないって言ってるそばから言うという)、人がなぜ生きているのかとか、このセカイのありようについて「認知」を改めた、ということですね。

私なりに、納得のいく捉え方ができたので、「ずれ」がなくなった、ということです。

悟りを開きたい人がもしいれば、「松尾バイトの悟りを開こう講座」でも開催しますので、ぜひ参加してください(笑)

2013年8月25日日曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」3】  写真とは何か。



<写真とは何か>



こんにちは

今日は朝からとあるワークショップの講師の仕事を終わらせ、本業でトラブルがあったので会社へ出勤し取引先と協議を重ね、ようやくの安息の時間にこれを書いています。

公私共に忙しい松尾バイトです(^^;;

さて、前回は「詩」についてお話しました。今回は「写真」です。これも、zine関係では写真を扱った内容のものも多く、おそらくzineと相性の良いメディアであろうと思うので、早い目に取り上げておきます。

そもそも、写真をいくつか集めただけで立派なzineになる、という点で、写真メディアはzineともっとも関わりが深いといえると思います。




ちょっと時系列で振り返ると、

2011 SONYがコンパクト一眼α(アルファ)シリーズのプロモーションとして「LOVE ZINE」キャンペーンを実施

2012 宝塚メディア図書館(写真系)にて「ZINE/BOOK GALLERY」開催

2012 世田谷233 写真系「233zine部」活動開始

2013 写真を使ったzine・リトルプレスの「ZINE FES」開催


などなど、写真メインのzine関連活動が毎年巻き起こっているのが現状ですね。




写真家にとっては、自分の作品をあつめた「作品集」であったり「プロフィール」なるものをzineで作るのは、とても安価で、かつ実用性のあるツールになると思います。

きちんとした編集や印刷出版という工程をたどるには、そこで取捨選択される写真があったり、あるいはコストが膨大にかかります。しかし、zineであれば、自作を思いのままに操ったり、即興的に「今でしょ!」を切り取ることだって可能です。

おそらく今後も、写真家の卵にとって「zine」は最強のツールとして活用されることだと思います。




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さて、ところでそもそもクリエイターにとって「写真」とは何なのか、ということを今回は改めて問い直してみたいと思います。

ぶっちゃけ「写真は創造物ではない」という意見もあるくらいで、ひどい言い方をすれば「写真は芸術ではない」という考え方があるのも事実です。

ウィキペディアで「写真」を検索してみるとわかりますが、写真は事実をそのまま定着させているだけなので、そこに芸術性がないのではないか?という議論が生じるわけですね。

芸術うんぬんの議論はここではしません。もちろん、写真にまったく芸術性がなければ、現代において「写真」なるものや「写真家」なるものがここまで流通し、かつ評価されないはずなので、おそらく「写真と写真家には芸術的意図とそれによってもたらされる価値がある」と私は思います。


ただし、とても重要なのは、写真の価値はひとえに「被写体の価値」に連動するということです。


すぐれた写真家が何をしているのか、といえば、「価値のある被写体を発見し、それを巧みな手法で定着させている」のであって、けして「無価値な被写体を、芸術的に装飾している」わけではない、ということです。


これを平たく言えば、写真の価値は「被写体の価値」に尽きる、ということでもあります。


これを実感するには、優れた写真を見てみればよろしい。


ちょっと外へ出てみましょうか!




セカイを震撼させた20世紀の衝撃写真




まあ、いわゆる「歴史に残る写真」を集めたものですが、見れば見るほど、「被写体の価値」に気付くと思います。この価値を発見し、残した写真家も賞賛されるべきですが、その被写体のもつ事実は、やはり写真家そのものよりも重いのです。

あるいは「有名な写真」で検索してみてもいいでしょう。やっぱり、そこに写っている「被写体の価値」に気付くと思います。



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被写体の価値、ということばをさっきから使っていますが、間違わないでほしいのは、「被写体である個人や、物」に価値があるわけではありません。

もっとわかりやすく言いかえれば、それは「被写体の周囲に存在する物語の価値」とでも言うべきでしょうか。

天安門事件に際し、戦車に立ち向かった人物は「誰か」すらわかっていません。でも、その状況と、そこへ至る流れと、そしてその行為の持つ意味という一連の「物語」が凝縮されているから、写真は価値を持つのです。

戦火に逃げまどう少女の写真も同じです。彼女が価値ある人物だったから意味を持つのではありません。

アインシュタインが偉いのではなく、アインシュタインがベロを突き出しているというその意味が価値を高めているのです。

ハゲワシと少女の写真は、その写真が持つ「物語」が強烈すぎたために、それが見るものに直接的に伝わり、写真家を自殺に追いやりました。





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なので、写真を撮っているアナタ・ワタシへの松尾からのアドバイスはひとつです。

「そこに物語があるかどうかを、もう一度問い直してみよう」

ということ。

風景写真でも、人物写真でも、スナップでもポートレートでも、被写体の背後に「物語」が見えれば、その写真は価値を持ちます。

しかし、「物語を持った被写体に出会う」ことは難しいものです。なので、少し訓練してみてください。





<実習> 数枚の写真で「物語」を表現してみよう。

一枚に物語を凝縮するのが難しければ、少ない枚数で「物語全体」を表現してみる、というのはいかがですか?

数枚の写真で、どうしたら物語を生み出せるでしょう?


じっくり悩んだり、さっそく外にカメラを持って飛び出してみてください。

2013年8月23日金曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」2】  詩人をめざすあなたへ 詩とはなんぞや。



<詩人をめざすあなたへ>

こんにちは

今日は、しっかり講義です。創作という世界において、いろんな表現技法がある中から、今回は「詩」を取り上げます。



zineに関わるようになってから、短いことばを連ねた「詩」のような作品まとめているzineをいくつか手にとったことがあります。それも、少人数ではなく、かなり多くの方が、詩や詩に類するzineを作っておられるようですから、一定の領域として需要があるのでしょう。

あるのでしょう、とはまたいいかげんな口調でモノを言っていますが、「詩」という表現技法は、いろいろと難しい部分を抱えているので、そのあたりも交えながら(笑)



さて、この詩というやつですが、ガッコウで扱う際、国語の先生たちが「ああ、詩か!やりたくねえなあ」と思うシリーズNo.1かもしれません。というのも、詩の世界というのはかなり観念的すぎるので、ただでさえ「何をどう回答すれば正解かわかりづらい国語」の世界の中でも、さらに一層わかりづらい代物だからです。



だいたい、国語教師の興味関心は 小説>評論>短歌・俳句>詩歌 の順になってるような気がするのですがどうでしょう。

たまーに、中国ブンガク専攻出身の方で「私は漢詩が好きなんだぜっーっく」という奇特な人もいるのですが、それはさておき。

従って、日本文学の詩の授業で教えることなんて限られていて、「定型なのか自由型なのかとか、韻の踏み方とか、オノマトペでゆあーんゆよーんとか」適当に喋ってりゃなんとかなるのです。

あ、けっこうひどいことをさっきから言ってますが、元国語教師なので、本音です(^^;;



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というわけで、教えてるほうもあまり気が乗っていないことも多い詩の授業ですが、作らせるのはわりと簡単なので「さあ、詩を作ってみよう」なんてことをやらされる生徒もたくさんいます。

けっこう短い時間で「詩」っぽいものが完成し、そしてそれが「いいのか悪いのか誰もわからない」という状況が生まれるので、授業の終わりにはみんなそれなりに満足するという素晴らしい単元ですね(苦笑)


さて、現代の日本において、結局誰もよくわかっていない「詩」ですから、この世界における「詩」の扱いも、相当ひどい目にあっています。

参考までに、うぃきぺでぃあを「詩人」で引いてみてください。2行目でズバズバ言われています。



<詩作のみで生活している人はほとんどおらず・・・・>



はい、そうですね。クリエイターとして、やっていけている詩人は「いない」と断言されているこの在りよう!

高村光太郎は彫刻家で、草野心平はバーのマスターで食ってた、とまで書いてある始末です(爆笑)


なので、ここではっきり言っておきましょう!



「詩」は、詩だけで成立しえない創作物である!と。




詩のzineを作っておられる方がたくさんおられるのを知っている中で、あえてのこの苦言ですが、本当にアナタを愛しているから心から衷心していると思ってください。



「詩」はコラボによってはじめて花を咲かせる創作物なのです!



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いちばんわかりやすいのは「詩×曲」つまり「歌詞」です。詩はうたを伴って絶大な力を発揮します。シンガーソングライターはもとより、うたうことで詩の力を使いこなしているクリエーターは山ほどいます。

また、あいだみつをさんのように「詩×書」というコラボでパワーを発揮している方もいます。

19(ジューク)のメンバーだった326(みつる)さんもそうです。彼の場合は「詩×イラスト」でした。

銀色夏生さんなどは「詩×写真」の作品などを効果的に使っておられました。


さあ、だとすれば、アナタ・ワタシの「詩」は何と掛け合わせれば、より大きく育つことができるでしょうか。





<実習>

 詩という表現技法と組み合わせるのに効果的なほかの表現技法を、できるだけたくさん挙げてみなさい。


「えーっ?もう曲も書もイラストも写真も、全部先人がいてやり尽くされてるよ!」

とふてくされる顔が思い浮かびますが、そんなことはありません。


私だったら、こんなことを考えます。


例)励まして欲しい人に、毎月1枚の葉書にしたためた元気の出る詩を定期的に送る「詩×郵便」

例)短い詩に短いメロディと振り付けをつけて歌い上げる動画をyoutubeに「詩×ミュージカル(オペラ)」

例)おみくじ形式の折りたたんだ紙に詩をしたためた、今日のあなたへの「詩×おみくじ」


などなど。






ご存知かもしれませんが「詩のボクシング」なんてイベントもあります。まさに「詩×格闘技(競技)」ですね。

まだ、誰も思いついていない「詩」の生かし方がきっとあるはずです。

ぜひ、探してみてください!

2013年8月22日木曜日

【松尾バイトのクリエータ入門講座 番外編】 紙メディアの役割を考えよう!

こんにちは

松尾バイトの「クリエータ養成講座」にランクアップしてから、すぐにみなさんからの反応があったので嬉しい限りです。

とはいえ、毎日まいにち講義やら実習に追い立てられるように過ごしてもらうのもなんなので、今日はこんなお話を織り交ぜてみます。

 面白い記事があったので注目。

 客引きの役目を終えつつあるコンビニの雑誌たち


 不破雷蔵さんというブロガーの方の記事なのですが、グラフがついていてわかりやすいのでぜひご参照ください。

 話の概要は、簡単。コンビニの表から見えるように並べてある雑誌たちですが、これまで立ち読みetcで「客引き」の要素もあったのだけれども、みんな雑誌を読まなくなってきたので、だんだん不要になりつつある、ということです。


 新聞も雑誌も売れてない!紙メディアはどうなるの!

といった声が、出版系業界全体から聞こえてきている昨今ですが、こうやっていろんな側面からその事実が改めて突きつけられている感じがしますね。

 記事の書き手さんは、ひとつ重要なポイントを示唆なさっています。

 雑誌を読んでいる読み手はどこへいったのか。

 かんたん。

 スマホを見てるんです。


 私は、この世界の事象を、基本的に科学的に考えようとしているのですが、出版業界がヤバイということはつまり、「質量保存の法則」なのです。

 化学反応の前と後で、物質の総質量は変わらない、というアレですよあれ。

 人間に与えられた24時間のうち、3分の1は寝ています。あとの3分の1は仕事。そしてあとの3分の1が、ご飯を食べたり、ごちゃごちゃしたり、そして暇つぶしをする時間なのです。

 つまり、人には8時間の暇しかなく、その8時間を本に費やしたり、食事に費やしたり、テレビをみたりするとすれば、スマホをいじる時間が増えれば増えるほど、他のことに費やす時間は減る、ということです。

 総数・総時間数は同じなので、モバゲーやらDeNAの株が上がるということは、旧来の出版社の株が下がるということなのです。

 任天堂の業績が落ち、SONYでリストラがはじまるのも、おなじ話です。



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ということは、ですよ!我々のようなzineファンであったり、紙メディア好きがやるべきことはひとつなのです。

電子からの、暇つぶし時間奪還計画!

これは、紙と電子とどっちが有用なメディアか、なんて話ではなく、どっちを触ったり読んだりするのが面白いか、ということに集約されますよね。


紙でも、電子でもどっちでも対応OKなコンテンツであれば、私はネットに載せます。だって、そのほうがたくさん読んで貰えるし、コストもかからないし、たぶん有益だから。

紙をいじる・触る・めくる・所有するといった楽しみを、いかに提示するか!これは難解にしてやりがいがあるパズルです。


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このお話に通じる、2つの事例を挙げておきます。クリエータ講座に出席なさっているみなさんは、今回の話を読んで、いろいろ自分なりに考えてみてください。紙はどうしたらいいのか!



事例1)「韓国の音楽市場の例」

 韓国にはMD(ミニディスク)が普及しなかったそうです。MDというのは現在では日本でも生産終了になってしまいましたが、CDの後に登場した「音楽を持ち歩くための手段」でした。

 CDは直径が12センチもあるので、持ち運びには不便です。そこでSONYは、CDの音質を下げて圧縮し、ちいさいディスクに入るようにしてMDを売り出しました。

 圧縮の方法はATRACといいますが、原理的にはMP3と同じです。聞こえない情報を省いたり、連続情報から省略してもいいところを切り取る方式です。

 さて、MDが普及しなかった韓国では、ポストCDとして、音楽ダウンロードが盛んになりました。(違法も含めて)なので、CDの後釜は、即携帯音楽プレーヤになってしまった訳です。

 日本人との考え方の違いが、ここらあたりから決定的に生まれます。日本人は、大事なCDは買います。ある程度どうでもいい音楽は、ダウンロードかもしれません。

 カセットやMDに移す、という行為を経ているため、「音楽は所有するもの」という観念に囚われているのが日本人です。

 韓国の人は、「音楽は聞き流すもの」と考えます。流行に応じて、消費するだけです。

 これは、どちらがいい悪いではありません。圧縮されたデータをどう扱うか、だけの問題です。


事例2)「いま、チェキが売れてます」

 世界的にチェキ(インスタントカメラ)が売れているそうです。本家本元の「ポラロイド」社はバタンキューしてしまったし、富士フィルムも、カメラ部門はすでに売り上げに貢献しておらず、最近は化粧品(化学薬品)なんかも扱っています。

 でも、インスタントカメラが売れているのです。(年間60万台のヒットらしい)

 パシャっと撮影したらジイーっと写真が出てくる。あの超アナログで使い古された技術を見て、最近の子は

「すっげえ!ハイテクじゃん!」

と言うそうです(笑)



 ☆参考文献☆ 

 zine部員で、当講座を受講している受講生さんは ↑ かならず読んでね。

 読解のヒント> 「チェキ」を「zine」に置き換えて考えてみよう。


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 ああ!講義をするつもりはなかったのに、しっかり授業になってしまいました。ごめんなさい。

 では、また次回。ご意見ご感想はコメント欄へ。



2013年8月20日火曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」1】  クリエータになるための最初のステップ。




おひさしぶりですこんにちは

 さあ、夏休み・お盆休みも終わってしまいましたが、社会人のみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

 学生さんは、まだもうちょっと夏休みが残っていると思いますが、充実した毎日となるように頑張ってください。




 地上波では放送されていないんのですが、「フィニアスとファーブ」というディズニーアニメがあって、世界中で大人気です。

 このアニメ、簡単に言えば「夏休みを無駄に過ごさないように、今日は一日何をする?」ということがテーマです。

 フィニアスとファーブ(ディズニーチャンネル)

 あと、「ペリーどこだ?」も(笑)



 みなさんも、夏休みを無駄に過ごさないように、頑張ってください。



 ちなみに、私は5日間のお盆休みに「夏祭り5件はしご」したり、「若狭の秘境にガクブル」になったり、「親族とバーベキュー」したり、「DVDを借りまくった」り、「zineフェスを覗きに行った」りしました。

 忙し過ぎです!




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 さて、クリエータ入門講座の続編をそろそろスタートさせましょう。何でも、私のブログをずっと読んでくれている愛読者の方がいろいろおられるようなのですが、大半がROMの方ばかりなので、このブログにはコメントやら足跡が全然残っていません。

 そこで、黙って読んでないで、ぜひ、コメントお待ちしています。心から。




 それはさておき、新装開店「クリエータ養成講座」では、より実践的な内容に重きを置きたいと思っています。テーマはもちろん「今、何者でもないアナタ・ワタシを何者かにする」ことが目標です。

 本気で取り組めば、どんな人でも「何者か」に育て上げることができるよう、私も心を込めて執筆するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

 もし、「クリエータ養成講座に出席します!」という奇特な方がおられる場合は、偽名筆名ハンドルネームでかまいませんので、下のコメント欄に決意表明してください。

 アナタのための専用カリキュラムと、アナタのための専用の実習をご用意して、毎回講座を進めることにしましょう。

 もちろん、アナタを「何者かにする!」という目標を必ず実現することをお約束します。



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 さて、今日のお話は「仕事の価値」についてです。

 突然ですが、アナタ・ワタシは今どれくらいの価値でいつもの仕事を請け負っていますか?

 アルバイトの方でしたら、仮に800円×8時間として、一日6400円くらいで仕事をしていることになります。

 会社員だったら、残業があったり、家に持ち帰ったりあんなことやこんなことがありますが、まあ8000円~15000円くらいがベースになるでしょうか。

 さて、ここで質問。私はふだんとある建築系業界のはじっこで、卸商社に勤めているのですが、その建築系業界において、「職人」と呼ばれる方々の日当が、どれくらいかわかるでしょうか?

 簡単に言えば、家を建てたり、壁を作ったり屋根を仕上げたり、そういう仕事に携わっている人で「職人さん」と呼ばれる人が、どれくらいの価値で仕事をしているか考えよう、というそういうクイズです。

 もちろん、建築業界は仕事内容が多岐に渡るので、これから述べる金額は、「とある業種」に限りますが。

 アルバイトで、日当が7千円弱、 会社員が1万5千円だとして、・・・・。

 はい、正解は正当な金額が取れていれば「日当2万5千円~」です。

 職人、つまり技能的クリエータの世界は、それくらい仕事に価値がある、というのが本来の姿です。




☆しかし、現実には、仕事が全体に減っているので「2万円」に下がったり「1万8千円でやるよ」というヤツが出てきたり、下請け孫請けだと「1万3千円しか残らない」こともあったり、いろいろしますが、それはまあ、置いといて☆





 翻って、クリエータを目指すアナタ・ワタシは、一日の仕事でいくら取れるでしょう?あなたの作品の価値は、いくらに換算できるか、少し考えてみてください。

 さすがに、日当2万5千円は厳しいでしょうが、まずは、アルバイト並の「時給800円(日当6400円」を目指してみるのはどうですか?

 あなたが一時間かけて作った作品を「800円で売れるかどうか」考えてください。800円も取れないなら、いますぐクリエータをあきらめてコンビニでバイトしたほうがマシかもしれませんよ!(←あいかわらず毒舌)


 ちなみに、私が別名義で行っている音楽系活動だと、個別にレッスンをしたらかならず1時間1000円貰うことにしています。それが高いか安いかは別問題として、私のポリシーとして

「私がきちんと提供している作品や技能なので、正当な対価をいただく」

ということを守っているからです。

 1000円という価格は、「バイト程度の仕事内容ではない。少しでも、それ以上を提供する!」という意味もあります。





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 創作活動は、お金ではない、という考え方の人もいるでしょう。しかし、このブログ・この講座では、お金に対するきちんとした(適切な)考え方とリンクして、クリエイティビティの向上を目指します。

 なので、今日みなさんにやってほしいことは、まず

「お小遣い帳を買って来なさい!」

ということ!


 厳密には、「金銭出納長」というノートを、100均に行って買ってくるのが最初の実習です。

 このノート、どうせ全部は埋まりませんので、ノートのちょうど半分のページで分けて使います。

 前半は「創作経費」、後半は「創作収入」とでも項目を立ててください。


 今、8月です。正しくは、このノートを1月1日から使わなくてはなりません。なので、もう今年は半分も過ぎているため、ちょっとダメなのですが、まあやらないよりマシなので、今年は練習のつもりで使っていきましょう。

 正式にはこのノートを1月1日から12月31日まで使います。そして、アナタ・ワタシが一年間創作活動に費やしたお金を記録するのです。

 創作経費のほうには、使ったお金を記録してゆきます。(レシートは全部、取っておきます)

 創作収入のほうには、あなたの作品が売れたお金を記録してゆきます。

 1年間で、経費を抜いた金額が20万円以上になれば、確定申告をしなくてはなりません。納税は義務です!

(あなたが、専業主婦やニートであれば、38万以上の稼ぎで確定申告の必要があります)





 ここまで読んで、「ワタシはたぶん、20万円も売り上げがない!」と思う人もいるでしょう。その通りです。たぶん、あなたは1年間で20万円も稼げません。

 しかし、本気で創作活動に取り組めば、突然その金額を超える日がやってくるのです。

 私の場合は、3年かかりました。1年~2年の間は、こんなことはアホみたいだと思っていましたが、その日は突然やってきました。

 だから最初に、この話をしておくのです。今年は無理です。でも、ノートは作っておく。




 あなたの目標はまず、

 「創作収入」の合計金額が「創作経費」の合計金額を超えること

です。




20万の利益どころか、使ったお金すら生み出せない自分に焦ります。苦悩します。嫌な気持ちになります。でも、それが今のあなたです。それを実感するところから、真の創作ははじまるのかもしれませんよ!



☆最初のステップは、簡単でしたね。さあ、どれくらいの人が、金銭出納帳を実際に買ってくるでしょうか(笑)

確実に「クリエータになれる方法」がここにあるのに、それを実行に移さない人のほうが、実は多いのです。


2013年8月18日日曜日

伊丹市立図書館ことば蔵「Zineフェス2013」に行ってきました。



こんにちは

夏休み(盆休み)もいよいよ終わり、月曜日から仕事に戻る方も多いことでしょう。というわけで、しばらくお休みしていた「クリエータ入門講座」も週明けよりぼちぼち再開することにします。

と、その前に、今日は、伊丹市立図書館「ことば蔵」さんで開催されている「蔵Zineフェス2013」を少し覗いてきたのでレポートを。



蔵Zineフェスの様子は
https://www.facebook.com/kotobagurazine

昨日は、DANTALIONの堺さんも参加でイベントがあったようですが、今日は通常日だったので、落ち着いた感じの中で見て回ることができました。

けっこう熱心にZineを読み漁っておられるお姉さんがいたので、邪魔にならないようにこそこそと(笑)


イメージ 1

ことば蔵に入ると、けっこうすぐこの棚があります。ここには図書館でのワークショップでみなさんが作ったZineがきちんと並べられていました。

ワークショップでの製作なので、「表紙がおんなじ」Zineもたくさんあるのですが、中をめくると全部違いますので、スルーせずにいろいろ読んでみてください。

イメージ 2

Zineフェスのブースはこんな感じ。出品者ごとに分けられているブースもあれば、いろいろ飾ってあるブースもあります。

全国のZine製作者さんのZineが手にとって読めるので、面白いです。

イメージ 3

ブース(棚)の中はこんな感じ。けっこうたくさん詰め込まれています。すべてのZineに「ことば蔵」さんの蔵書印が押されています。

基本じっくり手にとって読めるので、Zinepicnicの立ち読みのような感じでしょうか。図書館なので、静かなのもGOODかもしれません。

ちょうどこの棚の左のほうには、海外の製作者さんのZineが並んでいたので、面白かったです。





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さて、ここからは評価のコーナー。例のごとく辛口でいろいろ書きます。

①「ワークショップZine」と「Zine作家さんのZine」の差の正体。

実際に読み比べてもらうとわかるのですが、入り口近くの「図書館へ来たみなさんがワークショップで作ったZine」と、「全国から公募されたZine」の中身やクオリティがまったく違います。

Zineは初期衝動、なんて言ったりするので、「Zineを作る!という感情が爆発した何か」には本来はパワーがあるのですが、やはりそれを短い時間のワークショップでまとめるには限界がある、ということもわかります。

(もちろん、ワークショップ作品の中に、すごいもの、いいものもありますが、よく見るとちゃんと素材を事前に準備してきておられたり、何がしかの下ごしらえがあることがわかります)

個人的には、「Zineを作り続ける意味」はここにあるのかな、と感じました。つまり、何冊か作っていくうちに確実に上がる「クオリティと伝達力」がある、ということ。初期衝動の爆発力は薄れていくかもしれませんが、伝えようとする「コミュニケーション力」は上がっていく気がします。


②そのZineは「何秒持ちこたえられる」のか。

展示されているZineは、パラパラとめくるとあっという間に読み終えてしまうものが大半です。それは文字の分量等に関わらず「ああ、こういう感じのZineね」とまさに流し読みで終えることができるからです。

このブログでは今「クリエータのためのヒント」についてずっと考察していますので、そういう意図で語るとすれば、「読み手が何秒持ちこたえるか」を意識してZine作りをすることは、ものすごくいいトレーニングになると考えます。

たくさん文章を入れ込めばいいのではありません。その場合持ちこたえないZineは、文章すら読まれずに次のページに飛ばされることでしょう。

文字の量、絵の量などではなく、結局はコンテンツの質です。

特に、ワークショップ作品のZineでは、あっと言う間に読めるものと、「めくる手を止めさせられるZine」に分かれます。その差は、Zineにこめられたコンテンツの内容そのもののよしあしなのでしょう。

具体的には、ただ形態だけのZineは10秒で読み終えられます。それが15秒になったり、30秒になったり、1分かかったり、いろいろ変化が現れます。

どれだけ読み手の時間を奪えるのか、という観点はクリエータにとって最も大事なポイントのひとつだと思います。

③ポストZineのビジョン。


1、 ワークショップでZineを作ってみる。そして「ああ、自分でも作れるんだ」という気付きを得ます。
2、次に、自分でZineをいくつか作ってみて、交換したり公開して外部へ発信してゆきます。
3、さあ、そしてそれからどうするの?

1段階と2段階のZineはたくさん見つけることができますが、さあてその次、その上ってなんだ?と考えるとこれはZine製作者たちの間でも、悩んだり迷ったりしているのが現状です。

印刷所に出して「リトルプレス化」する人、リソグラフを使うなど「技法にこだわる人」、製本方法にバリエーションを持たせる人、など、『次のZine』を模索している作品も、いくつか展示されていました。

もちろん、正解があるわけでもないし、進むべき道も未知数なのが現実です。

クリエーターをめざす中で、「次のZineをどうする?」「Zineの次をどうする?」を模索することは、避けては通れない道だと思うのです。


2013年8月16日金曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」夏休み編2】 しょせん、遊びなのか?



 こんにちは。

 講座はまだ夏休み中ですので、しょーもない話をぼんやりと書きましょう。

 今日、面白いブログ記事をみつけたので、紹介します。


 文章で飯を食っていくということ(本とebookの公園さんより)


 あれ?また講座本編でやったような内容かな?と思った方。今日は肩の力を抜いて大丈夫です。

 記事の執筆者さんは、紙媒体の出版から電子書籍まで、仕事でからんでこられた方なので、話がリアルで面白いです。

 


 さて、内容のおさらい。

 最初は、「出版業界」なるものと「電子書籍業界」なるものを比較しながら、そもそも「電子書籍業界」があるのか?というお話ですが、徐々に、

 紙ベースの時の書き手は食えたけれど、電子ベースになると食えない

という話へ移っていきます。なあるほど。


 雑誌などが売れていた時代は、ざっくり記事一本が10万~20万になったけど、電子ベースだと一本1万~2万だから大変ッス。ということなんですが、注目はその後です。

 書き手にお金を払うのとグーグル(広告)に払うのとどっちがコスパに優れるか

という議論。これは、ガツン、とやられますよね?

 雑誌というのはご承知のとおり、広告宣伝がないと成立しません。だとしたら広告の載った雑誌を買ってもらうために、ライターを育てるか、それとも、グーグルややほーに任せるか、という議論なんです。

 これはがどうとか電子がどうとか、そういう低レベルの議論をぶっ飛ばして、ガツン!です(笑)。

 こりゃ負けるよね。って感じ。

 記事の後半は、フリーランスの話やセルフパブリッシングの話にもそれとなく触れておられるので、ご興味のある方はじっくり読んでください。



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おなじ現象を、まったく逆の面から捉えている方もおられるので、そちらもご紹介。

こちらは有名なちきりんさんの日記から

低価格ジョブは民主的な市場に不可欠

こちらは、ネット上の記事執筆が1万~2万だというおなじ事実を、別の視点から捉えておられます。

プロのライターは食いっぱぐれるかもしれないが、素人ライターが参入できる余地が増えた!

という見方で肯定的に見るわけです。

 このブログの読者さんは、どちらかと言えば、マジなプロではなく、素人寄りでしょうから、ちきりんさんの見方をすれば

 アナタ・ワタシにとって、チャンスの時代到来!

と読み取ることもできますね。




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 こうした議論の中で、私個人は両方とも正しいと思っています。プロの書き手の世界の裾野が広がり、書くことだけで食べていくのは難しくなる。その代わり、マジなプロも、素人まがいも、カオスな中で記事が生み出されてゆく・・・みたいな感じでしょうか。


 それが紙メディアであるべきか、電子メディアか、という議論より、もっと大事なことを少し話します。

 それが、前回のホイジンガのおっさんの理論とも関係あるのですが、

 ホイジンガ曰く、人にとって大事なのは遊ぶことなわけですから、


 結局、暇つぶしの時間にナニをいじるか

ということが極論なんだと思うのです(爆笑)

 暇つぶしに雑誌を買っていた時代から、暇つぶしにテレビがとりあえずついてた時代を経て、暇つぶしにネットサーフィンしたり、暇つぶしにツイッターみたり、暇つぶしにモ○ゲーしてる時代を生きてる、ってことです。

 ホイジンガのおっさんの言うとおり、暇つぶしの遊びの時間をどう費やしているかが変動するだけで、そのときウケた業界は成長し、変化によって衰退するまでのことなんです。


 その時代に応じて、人々の手には、暇つぶしできるツールが与えられてきました。そして、そのツールを生き生きと使って、暇をつぶしてきたのが現代人です。

 まさにホモ=ルーデンスですね。

 創造的活動とは、ある意味、面白そうな遊びを提案する、ということでもあります。

 ゲームクリエーターなんて大層な名前で呼ぶとかっこいいですが、暇つぶし製作者でもあるわけで(苦笑)

 だったら、創作が芸術だとかなんだとか大げさに考えないで、肩の力を抜いてゆるーく向き合ってみるのもいいかもしれません。

 所詮は、お遊びなんですから(笑)




2013年8月7日水曜日

オンリーフリーペーパーさんの閉店について

関西は、夕立の雨上がりですが、こんばんは。

 今日は、zineについての思ったことをさらさらと。

 まず、先日からの大きなニュースは、やっぱり「オンリーフリーペーパー」さんの実店舗(渋谷パルコ)が8月11日をもって閉店、という件だと思います。

 Only Free Paperさんのニュース

 フリーペーパーの専門店、という他ではありえない着想と、紙モノ好きにとっては「気になって仕方ない店」として頑張ってこられたことに敬意を表しながら、個人的には

いやあ、結局一回もいけなかったぜ

という残念無念な感じなのですが(苦笑)


 さて、今年は、これまた唯一無二のzine専門店「Books DANTALION」さんの実店舗閉店なんかもあったりして、こちらはけっこうお邪魔していたので、zineファンとしては「ああ、居場所に近いものがひとつ消えたなあ」とかなり残念だったわけで。


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 しかし、逆に言えば、ここらでしっかり考え直さないといけない時期に来ている、とも思います。

 つまり、上の先駆的な両店が「店じまいをする」ということはどういうことか、問い直す必要性ですね。


 旧来型の店舗として扱うには「zine」も「フリペ」も、結局おそらくそぐわない、のでしょう。

 それを単純に「儲からない」という言葉でくくるのには御幣があって、

 そもそも両者とも「儲けるつもりで店舗を出したわけではない」からで、そこらへんはいろんな角度で読み解かないと、答えはでないと思うわけです。


 もうひとつ現象として私がずっと気にしているのは、「やっぱりzineの作り手が、一周したら減っていく」という点です。

 私は2011年からzineに絡ませていただくようになりましたが、その頃とても面白いzineを作っておられた方で、今もおなじようにコンテンツを出しておられる方、というのはかなり少ないです。

 つまり、数号出された時点で、自然に休止もしくは卒業なさっていくzine作家さんが多い、ということでもあります。

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 このあたり、zineもフリペもそうなんですが、「最初は面白くて楽しい」のだけれど、「きちんとした仕組み」(つまり、お金の面も含めて)として回っていかない、ことに課題があるのではないでしょうか。

 儲ける必要は全くないものの、持ち出しばかりでペイしないメディアであるため、最後は作り手のモチベーションと体力勝負にならざるを得ないところが、いいのやら悪いのやら。

 だからこそ、zineやフリペに見合った新しいビジネスモデルというか、「ぴったり息のあう仕組み」みたいなものが何かないかなあ、とずっと考えているわけです。

 「zineは旧来のメディアに対抗しうるカウンターカルチャーだ」

なんていう言い方をする人もいますが、

 いやいや、どっちにしても紙メディアは落ち込んでますよ

というオチではどうしようもありません。


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私は、個人的には紙メディアは「ハードウエアであり、ソフトウエアである」と思っています。

いろんなメディアがある中で、「再生機材を必要としない、それだけで再生可能なメディア」というのは、やはり紙のよさだと。

その上で、電子工学的にいえば「ハードウエア設計と実装、ソフトウエア設計と実装」がわりと簡単に効率よく、効果的にできるのはすごいことだと思うのです。

 
このあたりをうまく生かしていけば、まだまだ粘りがあると思うんだけどなあ・・・。


みなさんのご意見、ご感想をお待ちしております。

2013年8月5日月曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」夏休み編1】 人はなぜ創作するのか クリエイティブに生きたい理由





 こんにちは


 前回までの「クリエータ入門講座」第一章が一段落したので、後期へ移る前に、少し四方山話をしておこうと思います。





 そもそも人が「創作をする」「クリエイティブなことを行う」というのは、「なぜ」なのでしょう。


 みなさんは、自分がモノづくりに傾倒している理由、について自問してみたことがありますか?


 



 私の場合は、とにかく小さい時から、自分(の中の何か)を表現することが好きだったように思います。




 幼稚園へ入る前の年(私の地域の幼稚園は1年制でしたから、5歳の時ですね)、MBS毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」という番組に電話出演して、「今度家族で旅行に行く」という話を嬉しそうにパーソナリティに話している録音が残っていますから、当時はとても喋るのが好きな子供だったのでしょう。


 当時のラジオ放送がテープに残っているのですが、あのねのねの原田伸郎さんと大津びわ子さん相手に、いっちょ前に好き放題喋っているのが、面白いやら恥ずかしいやら。



 昭和50年代のヤンタンといえば、一世を風靡したラジオ番組ですので、それはもういきなりメジャー体験をした、と言っていいかもしれません。


 恐らく、MBSの放送史の中でも、最年少に近いラジオ出演だったのではないでしょうか。


 

 そんな私は小学校に入ると、小説ばかり書くようになりました。もちろん、本を読むのが好きだったのは間違いないのですが、その当時の私にとって「書く」という作業は、お金がかからず、設備投資が全くいらない創作術だったのです。


 後に私は映像作品をたくさん撮るようになりますが、これは社会人になってお金ができたから可能になったわけで、カメラや機材にお金がかけられない間は、やっぱり書くことしかできなかったように思います。


 大学生になると、ギターを弾いたり、音楽という表現方法にも触れるようになります。このあたりは、今にも繋がっています。


 

 しかし、方法は何であれ、とにかく私は「表現がしたかった」のには間違いないと思います。


 でも、一体なぜ?なんのために表現したかったのでしょう。




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小中学生の頃、私は「作家というものは自殺するものだ」と勝手に解釈していました(笑)


太宰治じゃないけれど、作家の究極形はやっぱり自分と極限まで対峙しての自殺だよね、となんとなく思っていました。


今となっては「なんで死ななあかんねん!」と一笑に付してしまうところですが、子供ながらに、文筆を通じて人の極限の姿を追求してしまったら、そこにある種の限界点のような恐ろしいエリアがあるのではないか、と怖がっていたのかもしれません。


あるいは、今でも三島由紀夫の死に、そうした何かを解釈する向きもありますから、一概に「作家たるもの自ら死すべし」というのは、ハズレでもない気がします(苦笑)




それはまあ、置いておくとしても、死という視点は、悪くないと思います。つまり、創作とは「自分の生の証を残すこと」という側面が大きいからです。


長い人生を歩んでこられた老人が、自分史を残したいと思ったりするのもそれですね。


歴史上有名な建築物が「あれは○○という江戸時代の有名な大工が建てたんだ」なんて、今でも言われたりするのもそうです。


人は必ず死にますから、それまでの間に、生きた証としての何か創作物を残したい、というのは本能的なものかもしれないですね。


芸術家を自称する人たちが、「自分が生きている間に理解されなくてもいい」なんて思うのも、死後の作品を意識しての発言だと思います。





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また、創作には「あるべき自分の姿と、現実の自分の姿のギャップ」という視点も必要です。現状に完全に満足している人よりも、自分の状況に不満がある人の方が、創作的であるかもしれません。


それは、現状を打破するための湧き出す力が、作品にこもっていることがあるからです。


「社会的な自分はこんなんだけれど、創作的な自分にはこれだけの力がある」


という怨念めいたものが秘められている場合もあるでしょう。


 会社勤めをしながら、創作に励む人が多いのもそうした理由があると思います。日常は抑圧されていても、創作の時間だけは自由になれる、という幸せだって、全然OKですよね。



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「創作」=作るという現象を考えたときに、一度概論を知っておくほうがよい学問があります。


 大学生だった人は、一般教養の授業で習ったことがあるかもしれませんが、高卒の人と専門学校卒の人は、おそらく知らないと思うので紹介しておきます。


 ヨハン・ホイジンガというオランダのおっさんが唱えた理論に「ホモ・ルーデンス」という考え方があります。


 ホモ、といっても性的な意味ではありません(笑) ホモ・サピエンスとかのホモです。つまり、ヒト。


 

 ホイジンガのおっさんは、ヒトというのは仕事としてのモノ作りよりも「遊び」を前提に何かを起こす、と考えました。


 つまり、ホモ・ファーベル(作るヒト)よりホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)という存在を根っこに捉えたのです。



 ホイジンガ的に考えれば、私たちが創作する理由は「なんてったって、面白いから!」でもあります。


 生産的でなくても、お金にならなくても、楽しいから作ってしまう、という部分は確かにあります。


 それが成果に結びつかなくても、夢中になって作ってしまうのも、創作の重要な部分です。





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 いろいろ考えてきましたが、みなさんは「なぜ」クリエイティブなことに夢中になるのでしょうか?


 あなたが創作する理由をぜひ、教えてくださいね。


2013年8月1日木曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」10】 クリエータとして食べていくということ



こんにちは

 人生は早いもので、この「クリエータ入門講座」も、あっという間に10回目を迎えました。

 第1回から今日までは、ざっくりと言えば「概論」みたいなもので、そろそろ次回あたりからは実践編に入りたいなあ、と思っています。

 当連載ファンの方は、ご期待ください。


 さて、まず最初のネタは、この講座の第4回で触れたハリーポッターの作者さんの件の続報です。

 「ハリポタ」作者ローリング氏、男性作家になりすました理由を吐露

 J・K・ローリングさんが、なぜ知られていない別名で小説を書いたのか、というお話。本人から回答があったのでぜひ、引用させてください。

 『ペンネームのことだが、この新しいジャンルで初心に戻ることを切望したためだ。誇大広告や期待のないところで仕事をし、完全にありのままのフィードバックがほしかった。それはすばらしい体験だったし、もう少し長くこのままでいたかったと望むばかりだ』

 
 ・・・同感です。そうなんです!ころころ名前変えるのはすばらしい体験だと!(←そうじゃない)

 というわけで、私も常に初心忘れずに頑張ります。




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 さて、今日の本題。今日は、クリエータとして食べていくということについて、考えてみたいと思います。

 「いやいや!ワタシはそんなクリエータだけで一本立ちできるなんて思ってないし!」と謙遜なさっている方!

 大丈夫です。私もあなたがクリエータだけで一本立ちできるなんて思っていません。キリッ。(笑) 

 と、まあパタリロに出てくるようなキツイ冗談はさておき、クリエータ職というものの現状も、ちらりと覗いておきませんか?

 
 とてもわかりやすく書いて下さっているブログがありましたのでご紹介します。

 『小説家では食べていけない現実』(ミステリー作家 戸松敦矩 あさっての日記)より

 2012年の記事ですが、プロの作家さんによるリアルな考察がとても興味深いです。

 
 記事から概略を読んでみましょう。

 ○プロの漫画家さんの平均年収は、だいたい500万円くらい。

 ○プロの作家さんで、年2冊ペースで刊行なさる方の年収が380万円くらい。

 ○アニメ原画担当の方で、年収200万円くらい。

 
 ごくごく一部の裕福な作家さんがいて、大半はふつうのサラリーマン以下の収入のちょっと貧しい作家さんで、それより多くの兼業作家さんがいる、という実態について教えてくださっています。

 

 さてさて、小説でも漫画でもそうですが、毎年たくさんの方が新人賞を獲って世にデビューなさいます。そして、同時に、同じかそれ以上の人が ひっそりと消えていくというわけで、出版不況なんていわれるように、消えていくほうが多くなきゃ市場は右肩上がりのはずです。そう、基本的には、みんな消 えていく方向にゆるやかに向かっているわけです。

 
 じゃあ、こう考えればいいじゃないか!とひらめいてみましょう。プロの作家と言われる人たちであっても、その半数近くの人は、別の仕事でお金を稼いでいるという事実があるわけですから、

 『自分の収入の半分以上を小説・漫画で稼いでいる人がプロで、半分以下ならアマチュア』なんて区分けはナンセンス

だということがわかります。



 つまり、『一度でも小さくデビューしたら御の字』だと割り切って、のびのび創作に励むこともこれまた現代に合った生き方なわけで。

 だからこそ、ふだんの仕事での充実と、創作活動の充実を図ることが一層重要になってくるのだと思います。

 実際、私はそういう感じで生きてます(笑)。本業の会社員に軸足を置いて、もう一方は自由な創作活動を楽しむスタイル。

 もちろん、「お前の生き方なんてどうでもいい、そこで小さくうずくまってろ!」と罵倒なさる方もおられると思いますが、その人にはぜひ頑張ってこの世の荒波を渡りきって欲しいと心から応援します。



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プロのクリエータとして自立して生きていく、ということがどういうことかを知るには

○「フリークリエイターになりたい人の独立ガイド」

○「クリエータが独立して会社を作るのに1円起業は有効か」

などもとても面白いです。

 プロになればなるほど、創作者としてより経営者としての手腕が問われることがよくわかりますね。


 プロクリエータ志望者の方が、ざっくり見ておくとよいサイト

 ○クリエイティブ ビレッジ

 クリエータの仕事探しのリアルがわかります。

 

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 というわけで、10回に渡ってクリエイターをめざす心がまえを説明したわけですが、早くも心が折れそうなアナタ・ワタシも多いことでしょう。

 そこで、講座の後編では、もうすこし目標レベルを下げて、

 「ふつうの仕事を持っている社会人が(つまり、ふつうの人が)」

 「プロを目指すのではなく、趣味+アルファくらいの領域で」

 「何か創作的なこと、クリエイティブなことを実践してゆく」

 「そして、できればその活動が社会的にちょっとだけ認知されたら嬉しいな」

 ぐらいの「ハイアマチュア~セミプロ」ぐらいのクリエータ像を想定して話をしてゆこうと思っています。

 実際の演習も交えていきますので、「自分もド素人として、参加してみたい!」という方はぜひ手を挙げてみてください。必ず、あなたも上に書いたくらいのレベルまでは到達できると思います。

 題して、「松尾バイトのクリエイター養成ゼミ」みたいな感じですね。


☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。




 では次回をお楽しみに!

2013年7月31日水曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」9】 売れるクリエータと売れないクリエータの違いとは?


こんにちは


 今日、ダイヤモンドオンラインを読んでいたら、面白い記事があったのでご紹介します。


 (ふだんの私は、ビジネスマンなので、ビジネス記事だって読みます)


 

 「認められたい私、認めてくれない社会 ~承認不安時代の生き方~」


 http://diamond.jp/articles/-/39524


 梅田カズヒコさんという方が書いておられる連載の第一回ですが、「若者の行動原理は『認められたい』という承認欲求にある、というところから話がはじまります(^^





 私の「クリエータ入門講座」で扱っているテーマも、実は「創作者として、いかに認められるか」という話ですから、根っこの部分では繋がっているのではないでしょうか?


 

 ちょっと、穿った見方をすれば、昨今の若い人たちの創作欲求の根っこにも、「実際の社会生活で認められないから、せめて創作活動のジャンルで立ち位置を生み出したい!」という気持ちを抱いている方も、実は多いのではないかと思います。


 このあたりは、深層心理的に、けっこうシビアです。そして、現実問題として、「ふだんの生活からの逃避の先に、創作があるのであれば、そりゃ創作活動でも結果は出ないわな」と苦笑せざるを得ないところがあるというか・・・。


 ごめんなさい。私は既に40近いおっさんなので、どうしても手厳しい言い方・見方をしてしまいますね(^^;許して下さい。




 さて、梅田さんの記事に戻ります。ひと昔前までは「何かを手に入れたい」という欲求が自己承認欲求と端的に結びついていました。


 たとえば、わかりやすいのが「いい車に乗りたい・いいブランドのバッグがほしい」というヤツです。


 いい車を手に入れる、ということが、社会的に認知され、かっこいいと認められた時代は、「いい車を持っているから、俺はすごいんだ」ということが成り立ちました。ブランドの服を着ているから、「あたしはイケてる」というのも同じです。


 ところが、モノがあふれるようになり、モノ中心の価値観が崩壊すると「いいモノを持っているから、認められるべき人間である」とは、回りから思ってもらえなくなります。


 したがって、「認められる」ための新たな基準や、価値尺度が必要になるわけですが、これだけ価値観が多様化してくると、何を持って「認められる」のかもわからなくなってきます。



 実際問題、現代の若者はその尺度を求めてさまよっていると言っていいでしょう。


 いいねの数だとか、リツートの数だとか、SNSにいろいろベタベタ貼るとか、みんな彷徨ってます(笑)



 

 この連載のテーマも、「何者でもないワタシ・アナタが何者かになるための方法」ですから、みなさんの価値尺度探しの旅の一助になっているわけでもあります。そして、クリエータとして、何かを残す、というのは、立派な「認められる」ための価値基準のひとつです。






 さて、先日「認められる」ことには段階がある、として3つのステップのお話をしました。梅田さんの記事によると、今度は段階ではなく、範囲もあるそうです。



 ①家族や親しい人たちに「認められる」こと


 ②ルールによって役割を与えられたグループの中で「認められる」こと


 ③世間一般から「認められる」こと



 この間お話をした、「クラスタ内で認められる」「社会で誰からも認められる」というレベルの話ともまろやかにリンクしているところがありますが、今回の①~③の分類は、自分の身近なところから社会生活へ向かって、広がっていくイメージですね。


 梅田さんの記事は、今後このあたりを社会的側面から考察なさると思いますが、私も楽しみに読み進めようと思っています。






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さて、もうひとネタ。


 今度は少し古めの「女性自身」さんのネット記事から。これも面白いです。



 お笑い事務所の講師が明かす「売れる芸人」「消える芸人」の境界線。

 http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/flash/5160

 

 

 よしもと、サンミュージック、松竹のお笑い事務所講師の方が、それぞれ「3つのポイント」を挙げて下さってます。


 売れる芸人と消える芸人という言葉を、「売れるクリエータ」「消えるクリエータ」と読み替えたらどうなるか!


 今回、全く偶然にこの記事を見つけたのですが、「あれ?この話、このクリエータ講座で説明したぞ?」ということが意外に多いように思います。



<よしもとNSC講師の方>


①必要なのは99パーセントの素質と1パーセントの努力

②一方通行ではなく、誰のためにやっているかを認識

③ウケない理由を自分で分析できること


 誰のためにやっているかを認識せよ!ということは、この講座の第8回で説明しています。


 新しくでてきたポイントとしては、3番の「なぜ自分が世に出ていないか」を客観的に分析できることが大事です。


 同じように同人活動をやっていたり、zineを出していたり、いろんな創作的活動をやっているのに、Aさんは何がしかの成果を出していて、アナタ・ワタシは成果が出ていないとします。


 その違いがわかる人は、成長します。でも、たいていの人にはその違いがわかりません。クリエータ初心者のみなさんは、「そんなんわからない」で全然かまいません。


 ただし、わからなくてもいいですが、成果を出している人から目をそむけないでください。目を背けてそうした人たちの存在を無視したとき、安西先生風に言えば「そこで、試合終了」です。


 なので、成果を出している人たちをよく観察して、自分との違いを発見するプロセスに意義があります。その間に、おそらく自分のしょうもない小さなプライドと向き合わざるを得ず、苦悩するでしょう。


 その苦悩を乗り越えられたら、「違いがおのずと見えてくる」のです。



 

<サンミュージックの方>


①とにかくマメであること

②努力+大物を?む要領のよさ

③バイト先で社員に勧誘される人




 3番の「バイト先で社員に勧誘される」はいつも言っていることです。ふだんの仕事で頑張れる人は、創作活動でも頑張れる、というヤツです。ジャンルは違っても、「力を発揮できる」体制をとっているからです。


 1番と2番は、言い方を代えれば、「いい営業マンになれるよね」ということです。




<松竹芸能スクールの方>


①ファーストインパクトの強さ

②得意ジャンルのスペシャリスト

③自分を客観的に見られる人




 1番と2番は、特殊で一部の人しか身につけられないかもしれません。そういう意味では万人向けではないです。しかし、3番は万人に共通しています。


 よしもとの方が③で言っていることと同じです。





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☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。





 では次回をお楽しみに!


2013年7月29日月曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」8】 あなたの作品は誰のためのもの?



みなさんこんにちは。

私はふだん、普通の会社勤めをしています。その休日やら、帰宅後の時間を利用して創作に関わる活動をしているのですが、忙しい時は、少しの時間も惜しんで何かを進める、ということもあります。

特にこの夏は忙しくて、公的なイベントに呼ばれて講師をしたり、私的なグループの方に招かれてレッスンめいたことをしたり、とバタバタしていました。ま た、合間を縫うように次のステップの打ち合わせをすることも多く、気がつけば日曜日はかならず何かしらクリエイティブな活動を組み込んでいる、ということ になっていました。

というわけで、来月からはちょっと休みます(^^ イベントの入れすぎはダメですね。


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さて、これまで「松尾バイト」としてはあまりたいした活動をしてきませんでしたが、いよいよZINE作りや手作り本関係のイベントが実施できそうなので、その進行具合もレポートできれば面白いですね。

どうやって創作活動が進んでいくのか、という裏話をしてゆくつもりです。


今回、「本作り」イベントを実施するに当たっては、事前に公的施設のイベント担当の方といかに四方山話をしておくか、というところがスタートになります。

もちろん、私は音楽関係のイベント講師として担当の方にお会いして、そちらの準備を進めてきているわけです。その際に、「この施設ではどういう企画が求められているのか」ということをリサーチします。

今回は音楽系イベント講師として参入しているけれど、別のネタでもこの施設と関わることができそうかどうか、ということを事前に考えているわけです。

そこで、担当者さんの意向や、施設全体のイベント企画・戦略を尋ねてゆく中で、「あ、これはコラボできそう」というネタがあれば、資料とサンプルを持参して「私はこういうのもやってるので、もしそちらの企画と合いそうなら使ってね!」という話をするわけです。

没になることもあるし、採用されることもある。しかし、種をまいておけば、直接その施設とは関係なくても、別の関係者の方から「うちでやってみたい!」というオファーをもらうこともあるわけです。


そういう人づてのつながりで、私はこれまで5つくらいの公的施設でイベントを実施することができました。ちなみにすべて、そうした公的施設さんが主催のイベントに招かれていますので、施設を借りて私が勝手に実施しているわけではない、というところがポイントです。

その施設の方が「こういうイベントを実施したい!」というイメージをもっておられて、その実現のお手伝いをしているわけですね。



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今書いたような動きは、ひとことで言えば「営業」をする、ということです。クリエータを目指す方の中には「自分は職人であって、営業なんてできない、嫌だ」と思っておられる方がいるかもしれません。

しかし、初期の段階で申し添えておきますが、営業ができないクリエータは、生き残るのが厳しいと言わざるを得ません。

昔は、職人でも成立したところがあって、それは大手の出版社などでは、「編集者」ががっちりついてくれたり、育ててくれたりするシステムがあったからです。

しかし、最近はそうした余力も企業側にないので、「即戦力であって、それを的確にプレゼンできる人材」が優先的に目に留まってくるのは仕方ありません。


プレゼン能力とは、youtube動画でカウント数を獲ってくる力であったり、コンテストで有力者の目に留まる力であったり、あるいは「いいね!」の数として評価されることもあります。

しかし、「ふつうのクリエータが数万回の再生回数やいいねをもらえる」というのも非現実的なので、現実的には「人脈・人づて」を生かして仕事や作品につなげていくのが日々だと思います。

つまり、コミュニケーション能力や営業能力が、あなたの作品作りの基幹部分に食い込んでくるわけです。それが厳しければ、やっぱり大手企業の「編集者に発見してもらう」以外に、創作活動だけで食べていくのは難しいと言わざるを得ないでしょう。

(あるいは、デザイン事務所に入るとか、印刷会社のそうした部門で働くとか、ゲーム会社に就職するとか、いわゆるひとつの企業人として生きていくかです。その場合、社内でもっとコミュニケーション能力が必要とされますが)


時には、飛び込み営業をすることも必要です。これは、昔から小説や漫画の世界では「持ち込み」なんて呼ばれたりしました。

結局、創作活動も、企業活動も、それを仕事としてきちんと動かしてゆくということは「同じことをする」わけです。

だから、これまでの講座でもいろんな方が言っていたように、「ふだんの仕事がきちんとできない者に、創作活動がうまくできるはずがない」という部分に繋がってくるのです。



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<今日のワンポイントアドバイス>

あなたの創作物は「誰のための作品」でしょうか?その作品は、誰のために作られているものですか?

本だったら、「読んで欲しい読者層」というターゲットはいますか?

絵だったら「その絵を気に入ってくれそうなジャンルの人たち」を想定していますか?


直接的な「相手」だけでなく、間接的な相手も存在します。たとえば、今日説明したようなイベントを実施する場合、最終的にイベントに参加してくださるお客 さんだけでなく、そのイベントを企画したり実施したりする主催者さんにとっても意義のあるものかどうか、自問自答することが必要です。

その場合、あなたの創作物の相手は2者存在することになります。参加してくださるお客さんと、主催者のみなさん。その両者にきちんと向き合っているでしょうか?


たいていの初心者クリエータは「自分が作りたいものを作る」なんてことを言います。もちろん、ただの素人であれば、それで全く問題ありません。自分が作りたいものを自分で勝手に作ればいいんです。

ただし、それを他者に提供したり、他者と共有する場合には「相手が参加して喜ぶものを作る」べきです。それがプロを目指す第一歩だからです。



☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。




では次回をお楽しみに!

2013年7月27日土曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」7】 クリエイティブになる方法 ラスト

 みなさんこんにちは。

 長々と読み進めてきたHugh MacLeodさんの話も今回でいよいよ完結編です(^^

  
 クリエイティブになる方法30

最後に近づいてくると、やや濃い内容になるかな?


21)「売れ線をねらう」のは難しい。

 これは私も同感です。創作物をたくさん作っていく中で「これはウケるんじゃないかな?」と思って提案した作品で、当たるものもあれば当たらないものもあります。その違いがナゼなのか、とか、いろいろ考えてみてもわからない部分もあったりして、作り手からみれば「運」のように見えることもあります。

 その一方で、ある程度計算して提示した作品が受け入れられることも、もちろんあります。そういうときは、「ほらね!やっぱり」と思うのですが、こういうのはつまり『当たり・はずれ』を読むことはすなわち経験が増える、ということだと思うのです。

 経験でカバーできる部分と、何がヒットするかわからない爆発力に寄るところ。こういう不思議が、面白いのですが(^^;


22)「誰も親身になってくれない」

 これも本当。なので、誰かや何かとコラボする時は、「名前だけ借りる」くらいの気持ちで、後は全部自分でやる必要があります。50対50で仕事が進むなんてことはありません。かなりの協力体制を敷いても80対20くらいです。

 口約束で「一緒にやるか~」ぐらいの場合、90対10くらいで自分の方がエネルギーを投入しないといけないわけで。そうしなければ、その企画は早い段階でポシャります。



23) 芸術VSビジネスの議論は、無駄。

 自分の活動が芸術だと思っている人は、それが一生お金にならなくても文句を言ってはいけません。
逆に、なんと言ってもビジネス面の成功を第一義に置く人は、違う投資をしたほうが利益が大きいかもしれません。

 創作活動というのは、芸術性とビジネス性の両面をもともと併せ持っています。たくさんの人に「気に入ってもらう」ということは、ビジネスでの成功にもつながります。

 大金持ちのパトロンの気にいった作品だけを描いていた貴族付画家なんて、現代ではナンセンスなのですから、民主主義で資本主義に生きている以上、芸術も多少は民主的で資本的にならざるを得ません

 スティーブジョブズが、世界一の大金持ちだったビルゲイツのためだけに電子デバイスを設計したとしたら、彼がこれほど賞賛されたでしょうか?

 大衆のためのコンピュータを生み出し、そして、それが売り上げ一位をたたき出したからこそ、ジョブズの作品は「美しい」と言ってもらえるのです。



24) インスピレーションは、降りてくるものだ。

 アイデアは、突然に降りてきます。もちろん、そこに至るまでいろいろもがいている必要もありますが、人事を尽くしたあとは天命を待ちましょう。 


25) <内容が前と似ているので省略>


26) <省略>


27)認められるために大切なのは、認められることを必要としないこと。

 禅問答みたいですが「有名になりたいと思っている間は、有名になれない。夢中にそれをやり続けていれば、そのことでいつの間にか有名になっている」ということです。

 「愛してほしい」と思っている人はなかなか愛されません。しかし、そんなことは度外視して、生き生き過ごしている人は、周りから愛されます。


28)<省略>

29)どんな選択をしても、年貢の納め時はやってくる。

 私の好きなことばで「自分のケツは自分で拭かねばならない」というのがあります。逆の見方をすれば、自分で最後のケツ拭きをする覚悟があれば、どんな選択でもできる、ということです。

 そして、そのことについて後からグダグダ文句や言い訳をしない、ということ!


30)<あんまりたいした内容じゃないので省略>



さて、以前サイトに載っていたらしい31~38までのうち、大事なのをピックアップします。


31)倹約家であれ。

 これは、私はいつも「消費するな、創造せよ」と言い換えています。

 10万円のデジカメを買ったら、10万以上のお金をたたき出す作品を生み出しなさい。

 100円の色鉛筆でも、100円以上の価値のある作品を描きなさい。

 自分にごほうび、なんて発想は捨ててください。

 
35)無名でいられる期間を楽しめ。

 まさにそうです。もっとも純粋な創作活動ができるのは、まったくの無名時代のみです。


36)ブログを書け。

 これも結果論ですが、クリエータとして何も残せていない人は、ブログの更新が滞っています。

 私ですらそうです。松尾バイトとして活動できていないので、ブログも書けていません。

 しかし、別名義のほうは、書くことが山ほどあって、どんどん更新されています。

 なので、松尾バイトとして「何かを残す」ために、このブログの更新頻度を上げることにしたのです。



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<今日のワンポイントアドバイス>

 本気でクリエータを目指す人は、金銭出納帳を一冊準備してください。そして、自分の創作活動に費やしたお金をそこに残さず記録して、レシートをすべて別のノートに貼り付けていってください。

 これは、つまりあなたが創作活動に費やした「経費」です。

 そして、あなたの作品がほんの少しでも何がしかのお金に換わったら、今度は売り上げを記録してください。

 経費と売り上げをきちんとつけてゆくと、愕然とすると思います。クリエータ初心者は、最初かなりの驚愕赤字でスタートするからです。

 さて、何年間で単年度赤字から黒字へ変換できるでしょうか?自分で自分をリストラするはめにならないよう、努力してくださいね(^^;

 
 ワタシはクリエータだから、こんな材料使ってるの。ウフ!とか思いながら、ただ単に散財していませんか?
 その材料をつかっていることを認めてくれる購入者がいてこそ、その材料が価値を生み出してきます。

 
 私の場合、某活動では黒字転換に3~4年かかりました。別の活動でも2年ほどかかりました。そして、活動が停滞すると、すぐに利益分が吹っ飛んでいきます。

 継続してクオリティの高いものを作っていくのは、とても大変なことです。


☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。




 では次回をお楽しみに!

2013年7月26日金曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」6】 有名になりたい!有名になるには3つの段階がある!

 みなさんこんにちは

 第4回で「有名になる」ことについてのお話を書きましたが、とある人のネット記事を読んでいて、「有名になる」ことについては3つくらいの段階がある、というネタがあったので今日は、そのことについて。

 しかしながら、実はその元ネタ記事を読んだのがずいぶん前で、今回まったく検索できなくて、調べてもひっかかってこなかったので、内容は少しだけうろ覚えですがごめんなさい。

(もし、この話・元ネタを知っている人がいたら教えてください)


 有名になりたくて創作活動をしているわけではない!というアナタ・ワタシも、クリエータとして認知される中で大事な話なので、ぜひご一読を。


 その話というのは、一口で「有名になる」というのは簡単だけれども、段階的に3つくらいのステップがあるよ、という内容でした。


<第一段階> あるクラスタ(集団・業界)内で、有名になる。

<第二段階> より大きなクラスタの中で有名になるか、クラスタをまたがって有名になる。

<第三段階> 誰もが知っている有名人になる。


 クラスタ、という言葉が流行しだしたのはやや最近のことなので、私も記事を読んだときには「へえ、クラスタ」って言うんだ、と驚いたのですが(←世間にうとい?)そのあたりはまろやかに言い換えながら説明します。


 あ、ちなみにきっちり上の3段階だったかどうかはうろ覚えですので、ごめんなさいね。





<第一段階> あるクラスタの中で有名になる、とは。

 たとえば、短歌好きの愛好家の集合体のことを、ネット上では「短歌クラスタ」なんて呼ぶそうです。クラスタとはもともと「房(ふさ)」のことで、おなじようなものが密集している様子から転じているようで。

 クラスタでわかりにくければ、「グループ・集団」でもいいでしょう。

 有名になる、という表現が嫌いなら「一目置かれる」でもいいでしょう。


 アナタ・ワタシがクリエータとして何か創作活動めいたことをはじめた場合、まずはそのジャンルの愛好家の中で一目置かれる存在になることがスタートです。

 アニメ好きとか、イラスト好き、とかあるジャンルの愛好家は、山ほどいます。その中で「ああ、○○さんの作品、いいよね」とそのクラスタの内側で認知されること、これがクリエータとして結果を残す第一歩なわけです。

 たとえば、手作り本を作っている人たちが日本中に散らばっているとして、その中で豆本をメインに活動なさっている方がおられます。

 豆本クラスタの中で、「○○さん、ネットにたくさん作品を発表してるなあ」とか、「○○さんは定期的にワークショップをやってるなあ」とか、そういう認知を得る。これが第一段階ですね。

(別に、クラスタ内で一番にならねばならん、とかそういうことではありません)




<第二段階> より大きなクラスタ、あるいはクラスタをまたがって有名になる、とは。

 創作ジャンルは豆本だったとしても、より大きなクラスタ「手製本好きな人たち」とか「自主出版好きな人たち」に所属しているという認識も持つべきです。

 そうすると、ひと廻り、あるいはふた廻り大きなクラスタの中で、さらに認知を得ることが次のステップです。
 より大きなクラスタの中での認知は「○○さん?ああ、手製本の中でも『豆本』が得意なあの人ね」という感じですね。

 あるいは、クラスタ間の横のつながりというのもあります。豆本の例で言えば「手作り雑貨」のクラスタの人からも認知されるとか、「アクセサリー好き」クラスタとか、多少関連性がありそうな別クラスタからも一目おかれる、ということです。





<第三段階> 誰もが知っている有名人、とは。

 このクラスになると、テレビに出ないと無理です。クリエータ初心者がこのレベルに到達するには、運と実力といろんなバックグラウンドが必要になります。

 残念ながら「豆本」の例では、誰もが知っている有名人はいませんので、例を変えますが、

「料理研究家」だったらどうでしょう?ちょっとピンときますよね!


 料理好きクラスタに属する人は、ものすごい数おられます。そこから、一部の人たちが料理教室を開くことができ、またそこから一部の実力者が本を出します。

 本を出した時点で、その人の名前は別クラスタ(出版業界など)にも認知されるようになります。そして出版業界の中で「あの人の本が売れている らしい!」となると、別の出版社からもオファーがかかったりします。そして、最終的にテレビに出て→すべてうまくいくと売れっ子料理研究家としていろんな 番組に顔を出せるようになるわけです。


 料理研究家だけでなく、「タレント」さんや「芸人」さんも、同じようなステップを踏みます。誰もが知っている有名人になるということは、並大抵のことではありません。




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 ということは、第三段階まで行くことは稀なことだとしても、クリエータが受ける評価として重要なのは、まずは第一・第二段階、ということになるでしょう。

 もっと絞り込めば、第一段階だけで十分クリエータとしてひとり立ちできる、とも言えます。

 仕事の面で言えば、そのジャンル・業界で一目おかれる人には仕事がきちんと回ってくるからです。

 第二段階まで行けば、クリエータとしてはもう超!有名人に等しい、かもしれません。


 ちょっとマニアックな例を出してみます。スタジオジブリで言えば、

  宮崎駿さん  → 言うまでもなく第三段階まで行った人

  近藤勝也さん

 → 知ってる人にとっては有名人ですが、そこらへんのおばちゃんは全く知りません。つまり、第二段階ですが、業界では超一流ってことになります。

  庵野秀明さん

 → 超有名なエヴァ監督といえども、実はアニメファン以外にとっては「誰?」という第二段階の方ということに。風立ちぬ、で露出が増えてきたので、第三段階の階段を上っている最中かも?!

  
  こうやって書き出してみるとわかりますが、第二段階へいくことすらかなり超絶なことなのです。

  ですから、アナタ・ワタシがまずやるべきことは、所属するクラスタ内で、しっかり作品を出していくことです。同業の方・同じ趣味の方に「○○さん!知ってる!」と言ってもらえるよう、頑張ってみてください。



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<今日のワンポイントアドバイス>

 作品リストとプロフィールを持つ。

 クリエータにとって、作品リストは履歴書と同じです。なので、これまでに自分が作ったもののリストを作成してみてください。

 それにプロフィール自己紹介を加えて、自分で眺めてみます。


 その紙を誰かに渡せるかどうかを想像してみてください。

「こんなの、恥ずかしくて渡せないわ」
という状況なら、リストに上がっている作品の内容・数が稚拙なのだと思います。

「いちおう、こんなことやってます」
と恐縮しながらでも相手に渡せそうなら、自信のある作品づくりを進めてきた証明ですから、そのまま頑張ってください。


 実は、自己紹介の内容なんてあんまり関係ないと気付いたらしめたもの!そうです。

 クリエータとは、「自分のパーソナリティがものを言うのではなく、「自分の作品たちがものを言う」からです。





☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。




 では次回をお楽しみに!