2013年8月27日火曜日

心の病とメンタルについて考えてみた

こんばんは


今週はやたらと忙しくて、日中はバタバタ走り回っていますので、日没後にネットに向かっております(^^;


さて、講義のほうは本日はお休み。今日は「心の病」について思うところをつらつらと。


藤圭子さんがお亡くなりになって、報道がかなり過熱気味ですが、ここではそのことについては触れません。


ただ、いろいろな形で「心の病」にかかる人がかなり増えている昨今ですので、すこしだけ。


私は、前職の仕事柄、そうした「心身の病に困っている方と、いくぶん他の人より多く出会ってきた」ので、いつも何か力になれたらいいなあ、とは思っていますが、いかんせん医療のプロフェッショナルではないので、うまくいかないこともあります。


実は、友人の中にもそうした病を抱えている人がいて、その人とは喧嘩別れ?のような状態のままになっていることもあり、ずっと心配しています。


そもそも、健康な人と病を抱えている人とは、ある事象に対しての受け止め方が大きくことなることもあるので、難しいものです(^^;



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それはさておき、私は心の病の多くは「あるべき自分像と現実の自分像の乖離」によって引き起こされると考えています。


あるべき、というほど強いイメージではないかもしれませんが、人は基本的に自分の社会的立ち位置の感覚や、だいたい自分の姿はこうありたい、というニュアンスのようなものを漠然と持っています。


そういう感覚は、自分の中で「正義」であったり「正当な状態」であったり、「理想」であったり、「善」であったり、なんとなくプラスのイメージ、正しいイメージで保持されています。


ところが、現実社会における自分像は、なかなかそれと合致しません。



 それは、環境による原因だったり、自分の行為による原因だったり、究極的には自分の能力の限界だったりもするのですが、とにかく、このセカイに生きている限り、自分の正のイメージに対して「ずれ」が生じます。

このずれを解消しようとして、人はもがくのですが、なかなかそうはうまくいきません。

この活動のうちに、心身が疲弊してくるので、心の病に至るのではないか、と考えるわけです。

では、この「ずれ」を修正するには、どうしたらいいのでしょうか?




ガッコウの教科書的に言えば、「理想の自分になれるよう努力すればいいんじゃない?」とでもなるでしょうが、そう簡単なものではないでしょう(苦笑)

むしろ、そのずれを解消すべく「努力する」というのがいわゆる「うつ病の人に頑張れと言う」ことにつながるわけですね。つまり、そりゃ、うまくいかないことがだんだんわかってきています。



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メンタルヘルスの専門家たちは、このずれを解消する方法として「認知を改める」という方法をとらせることが多いようです。

簡単に言えば、そもそも「あるべき正しい姿」の設定そのものがどうなの?もしかしたら設定が間違ってるかもしれないよ?というあたりから修正していくということです。


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えーっと、実はワタクシごとで恐縮なのですが、私も一度だけ心の病的なものにかかったことがあります。(もう十年以上前のことです)

そのときは、とにかく脳みその中のアイドリングが常に高い状態で、わかりにくいかもしれませんが「脳の中が常にフル回転でぎらぎらしている」みたいな感じでした。

お医者さんに、安定する薬を処方されたのですが、体の外側こそ「ほわーっと」しているようでしたが、頭の内側はやっぱり「フルスロットル」だったので、

「薬なんて効かんわ!」

とずっと思っていました(笑)

まあ、その後、私自身はこの世界に対して悟りを開いた(笑)ので、そんな心の病にかかることはまったくなくなったのですが、心身症の時のあれは今思い出しても大変な体験でした(苦笑)




悟りを開く、というのは、別に宗教的な活動をしたとか、そんなのではありません。これはまあ、ボチボチどこかでお話することもあるでしょうが、たぶんふつうの人には言ってもわからないので言いません(^^;

あ、簡単に言えば(←言わないって言ってるそばから言うという)、人がなぜ生きているのかとか、このセカイのありようについて「認知」を改めた、ということですね。

私なりに、納得のいく捉え方ができたので、「ずれ」がなくなった、ということです。

悟りを開きたい人がもしいれば、「松尾バイトの悟りを開こう講座」でも開催しますので、ぜひ参加してください(笑)

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