2013年8月27日火曜日

心の病とメンタルについて考えてみた

こんばんは


今週はやたらと忙しくて、日中はバタバタ走り回っていますので、日没後にネットに向かっております(^^;


さて、講義のほうは本日はお休み。今日は「心の病」について思うところをつらつらと。


藤圭子さんがお亡くなりになって、報道がかなり過熱気味ですが、ここではそのことについては触れません。


ただ、いろいろな形で「心の病」にかかる人がかなり増えている昨今ですので、すこしだけ。


私は、前職の仕事柄、そうした「心身の病に困っている方と、いくぶん他の人より多く出会ってきた」ので、いつも何か力になれたらいいなあ、とは思っていますが、いかんせん医療のプロフェッショナルではないので、うまくいかないこともあります。


実は、友人の中にもそうした病を抱えている人がいて、その人とは喧嘩別れ?のような状態のままになっていることもあり、ずっと心配しています。


そもそも、健康な人と病を抱えている人とは、ある事象に対しての受け止め方が大きくことなることもあるので、難しいものです(^^;



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それはさておき、私は心の病の多くは「あるべき自分像と現実の自分像の乖離」によって引き起こされると考えています。


あるべき、というほど強いイメージではないかもしれませんが、人は基本的に自分の社会的立ち位置の感覚や、だいたい自分の姿はこうありたい、というニュアンスのようなものを漠然と持っています。


そういう感覚は、自分の中で「正義」であったり「正当な状態」であったり、「理想」であったり、「善」であったり、なんとなくプラスのイメージ、正しいイメージで保持されています。


ところが、現実社会における自分像は、なかなかそれと合致しません。



 それは、環境による原因だったり、自分の行為による原因だったり、究極的には自分の能力の限界だったりもするのですが、とにかく、このセカイに生きている限り、自分の正のイメージに対して「ずれ」が生じます。

このずれを解消しようとして、人はもがくのですが、なかなかそうはうまくいきません。

この活動のうちに、心身が疲弊してくるので、心の病に至るのではないか、と考えるわけです。

では、この「ずれ」を修正するには、どうしたらいいのでしょうか?




ガッコウの教科書的に言えば、「理想の自分になれるよう努力すればいいんじゃない?」とでもなるでしょうが、そう簡単なものではないでしょう(苦笑)

むしろ、そのずれを解消すべく「努力する」というのがいわゆる「うつ病の人に頑張れと言う」ことにつながるわけですね。つまり、そりゃ、うまくいかないことがだんだんわかってきています。



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メンタルヘルスの専門家たちは、このずれを解消する方法として「認知を改める」という方法をとらせることが多いようです。

簡単に言えば、そもそも「あるべき正しい姿」の設定そのものがどうなの?もしかしたら設定が間違ってるかもしれないよ?というあたりから修正していくということです。


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えーっと、実はワタクシごとで恐縮なのですが、私も一度だけ心の病的なものにかかったことがあります。(もう十年以上前のことです)

そのときは、とにかく脳みその中のアイドリングが常に高い状態で、わかりにくいかもしれませんが「脳の中が常にフル回転でぎらぎらしている」みたいな感じでした。

お医者さんに、安定する薬を処方されたのですが、体の外側こそ「ほわーっと」しているようでしたが、頭の内側はやっぱり「フルスロットル」だったので、

「薬なんて効かんわ!」

とずっと思っていました(笑)

まあ、その後、私自身はこの世界に対して悟りを開いた(笑)ので、そんな心の病にかかることはまったくなくなったのですが、心身症の時のあれは今思い出しても大変な体験でした(苦笑)




悟りを開く、というのは、別に宗教的な活動をしたとか、そんなのではありません。これはまあ、ボチボチどこかでお話することもあるでしょうが、たぶんふつうの人には言ってもわからないので言いません(^^;

あ、簡単に言えば(←言わないって言ってるそばから言うという)、人がなぜ生きているのかとか、このセカイのありようについて「認知」を改めた、ということですね。

私なりに、納得のいく捉え方ができたので、「ずれ」がなくなった、ということです。

悟りを開きたい人がもしいれば、「松尾バイトの悟りを開こう講座」でも開催しますので、ぜひ参加してください(笑)

2013年8月25日日曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」3】  写真とは何か。



<写真とは何か>



こんにちは

今日は朝からとあるワークショップの講師の仕事を終わらせ、本業でトラブルがあったので会社へ出勤し取引先と協議を重ね、ようやくの安息の時間にこれを書いています。

公私共に忙しい松尾バイトです(^^;;

さて、前回は「詩」についてお話しました。今回は「写真」です。これも、zine関係では写真を扱った内容のものも多く、おそらくzineと相性の良いメディアであろうと思うので、早い目に取り上げておきます。

そもそも、写真をいくつか集めただけで立派なzineになる、という点で、写真メディアはzineともっとも関わりが深いといえると思います。




ちょっと時系列で振り返ると、

2011 SONYがコンパクト一眼α(アルファ)シリーズのプロモーションとして「LOVE ZINE」キャンペーンを実施

2012 宝塚メディア図書館(写真系)にて「ZINE/BOOK GALLERY」開催

2012 世田谷233 写真系「233zine部」活動開始

2013 写真を使ったzine・リトルプレスの「ZINE FES」開催


などなど、写真メインのzine関連活動が毎年巻き起こっているのが現状ですね。




写真家にとっては、自分の作品をあつめた「作品集」であったり「プロフィール」なるものをzineで作るのは、とても安価で、かつ実用性のあるツールになると思います。

きちんとした編集や印刷出版という工程をたどるには、そこで取捨選択される写真があったり、あるいはコストが膨大にかかります。しかし、zineであれば、自作を思いのままに操ったり、即興的に「今でしょ!」を切り取ることだって可能です。

おそらく今後も、写真家の卵にとって「zine」は最強のツールとして活用されることだと思います。




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さて、ところでそもそもクリエイターにとって「写真」とは何なのか、ということを今回は改めて問い直してみたいと思います。

ぶっちゃけ「写真は創造物ではない」という意見もあるくらいで、ひどい言い方をすれば「写真は芸術ではない」という考え方があるのも事実です。

ウィキペディアで「写真」を検索してみるとわかりますが、写真は事実をそのまま定着させているだけなので、そこに芸術性がないのではないか?という議論が生じるわけですね。

芸術うんぬんの議論はここではしません。もちろん、写真にまったく芸術性がなければ、現代において「写真」なるものや「写真家」なるものがここまで流通し、かつ評価されないはずなので、おそらく「写真と写真家には芸術的意図とそれによってもたらされる価値がある」と私は思います。


ただし、とても重要なのは、写真の価値はひとえに「被写体の価値」に連動するということです。


すぐれた写真家が何をしているのか、といえば、「価値のある被写体を発見し、それを巧みな手法で定着させている」のであって、けして「無価値な被写体を、芸術的に装飾している」わけではない、ということです。


これを平たく言えば、写真の価値は「被写体の価値」に尽きる、ということでもあります。


これを実感するには、優れた写真を見てみればよろしい。


ちょっと外へ出てみましょうか!




セカイを震撼させた20世紀の衝撃写真




まあ、いわゆる「歴史に残る写真」を集めたものですが、見れば見るほど、「被写体の価値」に気付くと思います。この価値を発見し、残した写真家も賞賛されるべきですが、その被写体のもつ事実は、やはり写真家そのものよりも重いのです。

あるいは「有名な写真」で検索してみてもいいでしょう。やっぱり、そこに写っている「被写体の価値」に気付くと思います。



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被写体の価値、ということばをさっきから使っていますが、間違わないでほしいのは、「被写体である個人や、物」に価値があるわけではありません。

もっとわかりやすく言いかえれば、それは「被写体の周囲に存在する物語の価値」とでも言うべきでしょうか。

天安門事件に際し、戦車に立ち向かった人物は「誰か」すらわかっていません。でも、その状況と、そこへ至る流れと、そしてその行為の持つ意味という一連の「物語」が凝縮されているから、写真は価値を持つのです。

戦火に逃げまどう少女の写真も同じです。彼女が価値ある人物だったから意味を持つのではありません。

アインシュタインが偉いのではなく、アインシュタインがベロを突き出しているというその意味が価値を高めているのです。

ハゲワシと少女の写真は、その写真が持つ「物語」が強烈すぎたために、それが見るものに直接的に伝わり、写真家を自殺に追いやりました。





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なので、写真を撮っているアナタ・ワタシへの松尾からのアドバイスはひとつです。

「そこに物語があるかどうかを、もう一度問い直してみよう」

ということ。

風景写真でも、人物写真でも、スナップでもポートレートでも、被写体の背後に「物語」が見えれば、その写真は価値を持ちます。

しかし、「物語を持った被写体に出会う」ことは難しいものです。なので、少し訓練してみてください。





<実習> 数枚の写真で「物語」を表現してみよう。

一枚に物語を凝縮するのが難しければ、少ない枚数で「物語全体」を表現してみる、というのはいかがですか?

数枚の写真で、どうしたら物語を生み出せるでしょう?


じっくり悩んだり、さっそく外にカメラを持って飛び出してみてください。

2013年8月23日金曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」2】  詩人をめざすあなたへ 詩とはなんぞや。



<詩人をめざすあなたへ>

こんにちは

今日は、しっかり講義です。創作という世界において、いろんな表現技法がある中から、今回は「詩」を取り上げます。



zineに関わるようになってから、短いことばを連ねた「詩」のような作品まとめているzineをいくつか手にとったことがあります。それも、少人数ではなく、かなり多くの方が、詩や詩に類するzineを作っておられるようですから、一定の領域として需要があるのでしょう。

あるのでしょう、とはまたいいかげんな口調でモノを言っていますが、「詩」という表現技法は、いろいろと難しい部分を抱えているので、そのあたりも交えながら(笑)



さて、この詩というやつですが、ガッコウで扱う際、国語の先生たちが「ああ、詩か!やりたくねえなあ」と思うシリーズNo.1かもしれません。というのも、詩の世界というのはかなり観念的すぎるので、ただでさえ「何をどう回答すれば正解かわかりづらい国語」の世界の中でも、さらに一層わかりづらい代物だからです。



だいたい、国語教師の興味関心は 小説>評論>短歌・俳句>詩歌 の順になってるような気がするのですがどうでしょう。

たまーに、中国ブンガク専攻出身の方で「私は漢詩が好きなんだぜっーっく」という奇特な人もいるのですが、それはさておき。

従って、日本文学の詩の授業で教えることなんて限られていて、「定型なのか自由型なのかとか、韻の踏み方とか、オノマトペでゆあーんゆよーんとか」適当に喋ってりゃなんとかなるのです。

あ、けっこうひどいことをさっきから言ってますが、元国語教師なので、本音です(^^;;



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というわけで、教えてるほうもあまり気が乗っていないことも多い詩の授業ですが、作らせるのはわりと簡単なので「さあ、詩を作ってみよう」なんてことをやらされる生徒もたくさんいます。

けっこう短い時間で「詩」っぽいものが完成し、そしてそれが「いいのか悪いのか誰もわからない」という状況が生まれるので、授業の終わりにはみんなそれなりに満足するという素晴らしい単元ですね(苦笑)


さて、現代の日本において、結局誰もよくわかっていない「詩」ですから、この世界における「詩」の扱いも、相当ひどい目にあっています。

参考までに、うぃきぺでぃあを「詩人」で引いてみてください。2行目でズバズバ言われています。



<詩作のみで生活している人はほとんどおらず・・・・>



はい、そうですね。クリエイターとして、やっていけている詩人は「いない」と断言されているこの在りよう!

高村光太郎は彫刻家で、草野心平はバーのマスターで食ってた、とまで書いてある始末です(爆笑)


なので、ここではっきり言っておきましょう!



「詩」は、詩だけで成立しえない創作物である!と。




詩のzineを作っておられる方がたくさんおられるのを知っている中で、あえてのこの苦言ですが、本当にアナタを愛しているから心から衷心していると思ってください。



「詩」はコラボによってはじめて花を咲かせる創作物なのです!



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いちばんわかりやすいのは「詩×曲」つまり「歌詞」です。詩はうたを伴って絶大な力を発揮します。シンガーソングライターはもとより、うたうことで詩の力を使いこなしているクリエーターは山ほどいます。

また、あいだみつをさんのように「詩×書」というコラボでパワーを発揮している方もいます。

19(ジューク)のメンバーだった326(みつる)さんもそうです。彼の場合は「詩×イラスト」でした。

銀色夏生さんなどは「詩×写真」の作品などを効果的に使っておられました。


さあ、だとすれば、アナタ・ワタシの「詩」は何と掛け合わせれば、より大きく育つことができるでしょうか。





<実習>

 詩という表現技法と組み合わせるのに効果的なほかの表現技法を、できるだけたくさん挙げてみなさい。


「えーっ?もう曲も書もイラストも写真も、全部先人がいてやり尽くされてるよ!」

とふてくされる顔が思い浮かびますが、そんなことはありません。


私だったら、こんなことを考えます。


例)励まして欲しい人に、毎月1枚の葉書にしたためた元気の出る詩を定期的に送る「詩×郵便」

例)短い詩に短いメロディと振り付けをつけて歌い上げる動画をyoutubeに「詩×ミュージカル(オペラ)」

例)おみくじ形式の折りたたんだ紙に詩をしたためた、今日のあなたへの「詩×おみくじ」


などなど。






ご存知かもしれませんが「詩のボクシング」なんてイベントもあります。まさに「詩×格闘技(競技)」ですね。

まだ、誰も思いついていない「詩」の生かし方がきっとあるはずです。

ぜひ、探してみてください!

2013年8月22日木曜日

【松尾バイトのクリエータ入門講座 番外編】 紙メディアの役割を考えよう!

こんにちは

松尾バイトの「クリエータ養成講座」にランクアップしてから、すぐにみなさんからの反応があったので嬉しい限りです。

とはいえ、毎日まいにち講義やら実習に追い立てられるように過ごしてもらうのもなんなので、今日はこんなお話を織り交ぜてみます。

 面白い記事があったので注目。

 客引きの役目を終えつつあるコンビニの雑誌たち


 不破雷蔵さんというブロガーの方の記事なのですが、グラフがついていてわかりやすいのでぜひご参照ください。

 話の概要は、簡単。コンビニの表から見えるように並べてある雑誌たちですが、これまで立ち読みetcで「客引き」の要素もあったのだけれども、みんな雑誌を読まなくなってきたので、だんだん不要になりつつある、ということです。


 新聞も雑誌も売れてない!紙メディアはどうなるの!

といった声が、出版系業界全体から聞こえてきている昨今ですが、こうやっていろんな側面からその事実が改めて突きつけられている感じがしますね。

 記事の書き手さんは、ひとつ重要なポイントを示唆なさっています。

 雑誌を読んでいる読み手はどこへいったのか。

 かんたん。

 スマホを見てるんです。


 私は、この世界の事象を、基本的に科学的に考えようとしているのですが、出版業界がヤバイということはつまり、「質量保存の法則」なのです。

 化学反応の前と後で、物質の総質量は変わらない、というアレですよあれ。

 人間に与えられた24時間のうち、3分の1は寝ています。あとの3分の1は仕事。そしてあとの3分の1が、ご飯を食べたり、ごちゃごちゃしたり、そして暇つぶしをする時間なのです。

 つまり、人には8時間の暇しかなく、その8時間を本に費やしたり、食事に費やしたり、テレビをみたりするとすれば、スマホをいじる時間が増えれば増えるほど、他のことに費やす時間は減る、ということです。

 総数・総時間数は同じなので、モバゲーやらDeNAの株が上がるということは、旧来の出版社の株が下がるということなのです。

 任天堂の業績が落ち、SONYでリストラがはじまるのも、おなじ話です。



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ということは、ですよ!我々のようなzineファンであったり、紙メディア好きがやるべきことはひとつなのです。

電子からの、暇つぶし時間奪還計画!

これは、紙と電子とどっちが有用なメディアか、なんて話ではなく、どっちを触ったり読んだりするのが面白いか、ということに集約されますよね。


紙でも、電子でもどっちでも対応OKなコンテンツであれば、私はネットに載せます。だって、そのほうがたくさん読んで貰えるし、コストもかからないし、たぶん有益だから。

紙をいじる・触る・めくる・所有するといった楽しみを、いかに提示するか!これは難解にしてやりがいがあるパズルです。


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このお話に通じる、2つの事例を挙げておきます。クリエータ講座に出席なさっているみなさんは、今回の話を読んで、いろいろ自分なりに考えてみてください。紙はどうしたらいいのか!



事例1)「韓国の音楽市場の例」

 韓国にはMD(ミニディスク)が普及しなかったそうです。MDというのは現在では日本でも生産終了になってしまいましたが、CDの後に登場した「音楽を持ち歩くための手段」でした。

 CDは直径が12センチもあるので、持ち運びには不便です。そこでSONYは、CDの音質を下げて圧縮し、ちいさいディスクに入るようにしてMDを売り出しました。

 圧縮の方法はATRACといいますが、原理的にはMP3と同じです。聞こえない情報を省いたり、連続情報から省略してもいいところを切り取る方式です。

 さて、MDが普及しなかった韓国では、ポストCDとして、音楽ダウンロードが盛んになりました。(違法も含めて)なので、CDの後釜は、即携帯音楽プレーヤになってしまった訳です。

 日本人との考え方の違いが、ここらあたりから決定的に生まれます。日本人は、大事なCDは買います。ある程度どうでもいい音楽は、ダウンロードかもしれません。

 カセットやMDに移す、という行為を経ているため、「音楽は所有するもの」という観念に囚われているのが日本人です。

 韓国の人は、「音楽は聞き流すもの」と考えます。流行に応じて、消費するだけです。

 これは、どちらがいい悪いではありません。圧縮されたデータをどう扱うか、だけの問題です。


事例2)「いま、チェキが売れてます」

 世界的にチェキ(インスタントカメラ)が売れているそうです。本家本元の「ポラロイド」社はバタンキューしてしまったし、富士フィルムも、カメラ部門はすでに売り上げに貢献しておらず、最近は化粧品(化学薬品)なんかも扱っています。

 でも、インスタントカメラが売れているのです。(年間60万台のヒットらしい)

 パシャっと撮影したらジイーっと写真が出てくる。あの超アナログで使い古された技術を見て、最近の子は

「すっげえ!ハイテクじゃん!」

と言うそうです(笑)



 ☆参考文献☆ 

 zine部員で、当講座を受講している受講生さんは ↑ かならず読んでね。

 読解のヒント> 「チェキ」を「zine」に置き換えて考えてみよう。


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 ああ!講義をするつもりはなかったのに、しっかり授業になってしまいました。ごめんなさい。

 では、また次回。ご意見ご感想はコメント欄へ。



2013年8月20日火曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」1】  クリエータになるための最初のステップ。




おひさしぶりですこんにちは

 さあ、夏休み・お盆休みも終わってしまいましたが、社会人のみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

 学生さんは、まだもうちょっと夏休みが残っていると思いますが、充実した毎日となるように頑張ってください。




 地上波では放送されていないんのですが、「フィニアスとファーブ」というディズニーアニメがあって、世界中で大人気です。

 このアニメ、簡単に言えば「夏休みを無駄に過ごさないように、今日は一日何をする?」ということがテーマです。

 フィニアスとファーブ(ディズニーチャンネル)

 あと、「ペリーどこだ?」も(笑)



 みなさんも、夏休みを無駄に過ごさないように、頑張ってください。



 ちなみに、私は5日間のお盆休みに「夏祭り5件はしご」したり、「若狭の秘境にガクブル」になったり、「親族とバーベキュー」したり、「DVDを借りまくった」り、「zineフェスを覗きに行った」りしました。

 忙し過ぎです!




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 さて、クリエータ入門講座の続編をそろそろスタートさせましょう。何でも、私のブログをずっと読んでくれている愛読者の方がいろいろおられるようなのですが、大半がROMの方ばかりなので、このブログにはコメントやら足跡が全然残っていません。

 そこで、黙って読んでないで、ぜひ、コメントお待ちしています。心から。




 それはさておき、新装開店「クリエータ養成講座」では、より実践的な内容に重きを置きたいと思っています。テーマはもちろん「今、何者でもないアナタ・ワタシを何者かにする」ことが目標です。

 本気で取り組めば、どんな人でも「何者か」に育て上げることができるよう、私も心を込めて執筆するつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

 もし、「クリエータ養成講座に出席します!」という奇特な方がおられる場合は、偽名筆名ハンドルネームでかまいませんので、下のコメント欄に決意表明してください。

 アナタのための専用カリキュラムと、アナタのための専用の実習をご用意して、毎回講座を進めることにしましょう。

 もちろん、アナタを「何者かにする!」という目標を必ず実現することをお約束します。



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 さて、今日のお話は「仕事の価値」についてです。

 突然ですが、アナタ・ワタシは今どれくらいの価値でいつもの仕事を請け負っていますか?

 アルバイトの方でしたら、仮に800円×8時間として、一日6400円くらいで仕事をしていることになります。

 会社員だったら、残業があったり、家に持ち帰ったりあんなことやこんなことがありますが、まあ8000円~15000円くらいがベースになるでしょうか。

 さて、ここで質問。私はふだんとある建築系業界のはじっこで、卸商社に勤めているのですが、その建築系業界において、「職人」と呼ばれる方々の日当が、どれくらいかわかるでしょうか?

 簡単に言えば、家を建てたり、壁を作ったり屋根を仕上げたり、そういう仕事に携わっている人で「職人さん」と呼ばれる人が、どれくらいの価値で仕事をしているか考えよう、というそういうクイズです。

 もちろん、建築業界は仕事内容が多岐に渡るので、これから述べる金額は、「とある業種」に限りますが。

 アルバイトで、日当が7千円弱、 会社員が1万5千円だとして、・・・・。

 はい、正解は正当な金額が取れていれば「日当2万5千円~」です。

 職人、つまり技能的クリエータの世界は、それくらい仕事に価値がある、というのが本来の姿です。




☆しかし、現実には、仕事が全体に減っているので「2万円」に下がったり「1万8千円でやるよ」というヤツが出てきたり、下請け孫請けだと「1万3千円しか残らない」こともあったり、いろいろしますが、それはまあ、置いといて☆





 翻って、クリエータを目指すアナタ・ワタシは、一日の仕事でいくら取れるでしょう?あなたの作品の価値は、いくらに換算できるか、少し考えてみてください。

 さすがに、日当2万5千円は厳しいでしょうが、まずは、アルバイト並の「時給800円(日当6400円」を目指してみるのはどうですか?

 あなたが一時間かけて作った作品を「800円で売れるかどうか」考えてください。800円も取れないなら、いますぐクリエータをあきらめてコンビニでバイトしたほうがマシかもしれませんよ!(←あいかわらず毒舌)


 ちなみに、私が別名義で行っている音楽系活動だと、個別にレッスンをしたらかならず1時間1000円貰うことにしています。それが高いか安いかは別問題として、私のポリシーとして

「私がきちんと提供している作品や技能なので、正当な対価をいただく」

ということを守っているからです。

 1000円という価格は、「バイト程度の仕事内容ではない。少しでも、それ以上を提供する!」という意味もあります。





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 創作活動は、お金ではない、という考え方の人もいるでしょう。しかし、このブログ・この講座では、お金に対するきちんとした(適切な)考え方とリンクして、クリエイティビティの向上を目指します。

 なので、今日みなさんにやってほしいことは、まず

「お小遣い帳を買って来なさい!」

ということ!


 厳密には、「金銭出納長」というノートを、100均に行って買ってくるのが最初の実習です。

 このノート、どうせ全部は埋まりませんので、ノートのちょうど半分のページで分けて使います。

 前半は「創作経費」、後半は「創作収入」とでも項目を立ててください。


 今、8月です。正しくは、このノートを1月1日から使わなくてはなりません。なので、もう今年は半分も過ぎているため、ちょっとダメなのですが、まあやらないよりマシなので、今年は練習のつもりで使っていきましょう。

 正式にはこのノートを1月1日から12月31日まで使います。そして、アナタ・ワタシが一年間創作活動に費やしたお金を記録するのです。

 創作経費のほうには、使ったお金を記録してゆきます。(レシートは全部、取っておきます)

 創作収入のほうには、あなたの作品が売れたお金を記録してゆきます。

 1年間で、経費を抜いた金額が20万円以上になれば、確定申告をしなくてはなりません。納税は義務です!

(あなたが、専業主婦やニートであれば、38万以上の稼ぎで確定申告の必要があります)





 ここまで読んで、「ワタシはたぶん、20万円も売り上げがない!」と思う人もいるでしょう。その通りです。たぶん、あなたは1年間で20万円も稼げません。

 しかし、本気で創作活動に取り組めば、突然その金額を超える日がやってくるのです。

 私の場合は、3年かかりました。1年~2年の間は、こんなことはアホみたいだと思っていましたが、その日は突然やってきました。

 だから最初に、この話をしておくのです。今年は無理です。でも、ノートは作っておく。




 あなたの目標はまず、

 「創作収入」の合計金額が「創作経費」の合計金額を超えること

です。




20万の利益どころか、使ったお金すら生み出せない自分に焦ります。苦悩します。嫌な気持ちになります。でも、それが今のあなたです。それを実感するところから、真の創作ははじまるのかもしれませんよ!



☆最初のステップは、簡単でしたね。さあ、どれくらいの人が、金銭出納帳を実際に買ってくるでしょうか(笑)

確実に「クリエータになれる方法」がここにあるのに、それを実行に移さない人のほうが、実は多いのです。


2013年8月18日日曜日

伊丹市立図書館ことば蔵「Zineフェス2013」に行ってきました。



こんにちは

夏休み(盆休み)もいよいよ終わり、月曜日から仕事に戻る方も多いことでしょう。というわけで、しばらくお休みしていた「クリエータ入門講座」も週明けよりぼちぼち再開することにします。

と、その前に、今日は、伊丹市立図書館「ことば蔵」さんで開催されている「蔵Zineフェス2013」を少し覗いてきたのでレポートを。



蔵Zineフェスの様子は
https://www.facebook.com/kotobagurazine

昨日は、DANTALIONの堺さんも参加でイベントがあったようですが、今日は通常日だったので、落ち着いた感じの中で見て回ることができました。

けっこう熱心にZineを読み漁っておられるお姉さんがいたので、邪魔にならないようにこそこそと(笑)


イメージ 1

ことば蔵に入ると、けっこうすぐこの棚があります。ここには図書館でのワークショップでみなさんが作ったZineがきちんと並べられていました。

ワークショップでの製作なので、「表紙がおんなじ」Zineもたくさんあるのですが、中をめくると全部違いますので、スルーせずにいろいろ読んでみてください。

イメージ 2

Zineフェスのブースはこんな感じ。出品者ごとに分けられているブースもあれば、いろいろ飾ってあるブースもあります。

全国のZine製作者さんのZineが手にとって読めるので、面白いです。

イメージ 3

ブース(棚)の中はこんな感じ。けっこうたくさん詰め込まれています。すべてのZineに「ことば蔵」さんの蔵書印が押されています。

基本じっくり手にとって読めるので、Zinepicnicの立ち読みのような感じでしょうか。図書館なので、静かなのもGOODかもしれません。

ちょうどこの棚の左のほうには、海外の製作者さんのZineが並んでいたので、面白かったです。





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さて、ここからは評価のコーナー。例のごとく辛口でいろいろ書きます。

①「ワークショップZine」と「Zine作家さんのZine」の差の正体。

実際に読み比べてもらうとわかるのですが、入り口近くの「図書館へ来たみなさんがワークショップで作ったZine」と、「全国から公募されたZine」の中身やクオリティがまったく違います。

Zineは初期衝動、なんて言ったりするので、「Zineを作る!という感情が爆発した何か」には本来はパワーがあるのですが、やはりそれを短い時間のワークショップでまとめるには限界がある、ということもわかります。

(もちろん、ワークショップ作品の中に、すごいもの、いいものもありますが、よく見るとちゃんと素材を事前に準備してきておられたり、何がしかの下ごしらえがあることがわかります)

個人的には、「Zineを作り続ける意味」はここにあるのかな、と感じました。つまり、何冊か作っていくうちに確実に上がる「クオリティと伝達力」がある、ということ。初期衝動の爆発力は薄れていくかもしれませんが、伝えようとする「コミュニケーション力」は上がっていく気がします。


②そのZineは「何秒持ちこたえられる」のか。

展示されているZineは、パラパラとめくるとあっという間に読み終えてしまうものが大半です。それは文字の分量等に関わらず「ああ、こういう感じのZineね」とまさに流し読みで終えることができるからです。

このブログでは今「クリエータのためのヒント」についてずっと考察していますので、そういう意図で語るとすれば、「読み手が何秒持ちこたえるか」を意識してZine作りをすることは、ものすごくいいトレーニングになると考えます。

たくさん文章を入れ込めばいいのではありません。その場合持ちこたえないZineは、文章すら読まれずに次のページに飛ばされることでしょう。

文字の量、絵の量などではなく、結局はコンテンツの質です。

特に、ワークショップ作品のZineでは、あっと言う間に読めるものと、「めくる手を止めさせられるZine」に分かれます。その差は、Zineにこめられたコンテンツの内容そのもののよしあしなのでしょう。

具体的には、ただ形態だけのZineは10秒で読み終えられます。それが15秒になったり、30秒になったり、1分かかったり、いろいろ変化が現れます。

どれだけ読み手の時間を奪えるのか、という観点はクリエータにとって最も大事なポイントのひとつだと思います。

③ポストZineのビジョン。


1、 ワークショップでZineを作ってみる。そして「ああ、自分でも作れるんだ」という気付きを得ます。
2、次に、自分でZineをいくつか作ってみて、交換したり公開して外部へ発信してゆきます。
3、さあ、そしてそれからどうするの?

1段階と2段階のZineはたくさん見つけることができますが、さあてその次、その上ってなんだ?と考えるとこれはZine製作者たちの間でも、悩んだり迷ったりしているのが現状です。

印刷所に出して「リトルプレス化」する人、リソグラフを使うなど「技法にこだわる人」、製本方法にバリエーションを持たせる人、など、『次のZine』を模索している作品も、いくつか展示されていました。

もちろん、正解があるわけでもないし、進むべき道も未知数なのが現実です。

クリエーターをめざす中で、「次のZineをどうする?」「Zineの次をどうする?」を模索することは、避けては通れない道だと思うのです。


2013年8月16日金曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」夏休み編2】 しょせん、遊びなのか?



 こんにちは。

 講座はまだ夏休み中ですので、しょーもない話をぼんやりと書きましょう。

 今日、面白いブログ記事をみつけたので、紹介します。


 文章で飯を食っていくということ(本とebookの公園さんより)


 あれ?また講座本編でやったような内容かな?と思った方。今日は肩の力を抜いて大丈夫です。

 記事の執筆者さんは、紙媒体の出版から電子書籍まで、仕事でからんでこられた方なので、話がリアルで面白いです。

 


 さて、内容のおさらい。

 最初は、「出版業界」なるものと「電子書籍業界」なるものを比較しながら、そもそも「電子書籍業界」があるのか?というお話ですが、徐々に、

 紙ベースの時の書き手は食えたけれど、電子ベースになると食えない

という話へ移っていきます。なあるほど。


 雑誌などが売れていた時代は、ざっくり記事一本が10万~20万になったけど、電子ベースだと一本1万~2万だから大変ッス。ということなんですが、注目はその後です。

 書き手にお金を払うのとグーグル(広告)に払うのとどっちがコスパに優れるか

という議論。これは、ガツン、とやられますよね?

 雑誌というのはご承知のとおり、広告宣伝がないと成立しません。だとしたら広告の載った雑誌を買ってもらうために、ライターを育てるか、それとも、グーグルややほーに任せるか、という議論なんです。

 これはがどうとか電子がどうとか、そういう低レベルの議論をぶっ飛ばして、ガツン!です(笑)。

 こりゃ負けるよね。って感じ。

 記事の後半は、フリーランスの話やセルフパブリッシングの話にもそれとなく触れておられるので、ご興味のある方はじっくり読んでください。



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おなじ現象を、まったく逆の面から捉えている方もおられるので、そちらもご紹介。

こちらは有名なちきりんさんの日記から

低価格ジョブは民主的な市場に不可欠

こちらは、ネット上の記事執筆が1万~2万だというおなじ事実を、別の視点から捉えておられます。

プロのライターは食いっぱぐれるかもしれないが、素人ライターが参入できる余地が増えた!

という見方で肯定的に見るわけです。

 このブログの読者さんは、どちらかと言えば、マジなプロではなく、素人寄りでしょうから、ちきりんさんの見方をすれば

 アナタ・ワタシにとって、チャンスの時代到来!

と読み取ることもできますね。




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 こうした議論の中で、私個人は両方とも正しいと思っています。プロの書き手の世界の裾野が広がり、書くことだけで食べていくのは難しくなる。その代わり、マジなプロも、素人まがいも、カオスな中で記事が生み出されてゆく・・・みたいな感じでしょうか。


 それが紙メディアであるべきか、電子メディアか、という議論より、もっと大事なことを少し話します。

 それが、前回のホイジンガのおっさんの理論とも関係あるのですが、

 ホイジンガ曰く、人にとって大事なのは遊ぶことなわけですから、


 結局、暇つぶしの時間にナニをいじるか

ということが極論なんだと思うのです(爆笑)

 暇つぶしに雑誌を買っていた時代から、暇つぶしにテレビがとりあえずついてた時代を経て、暇つぶしにネットサーフィンしたり、暇つぶしにツイッターみたり、暇つぶしにモ○ゲーしてる時代を生きてる、ってことです。

 ホイジンガのおっさんの言うとおり、暇つぶしの遊びの時間をどう費やしているかが変動するだけで、そのときウケた業界は成長し、変化によって衰退するまでのことなんです。


 その時代に応じて、人々の手には、暇つぶしできるツールが与えられてきました。そして、そのツールを生き生きと使って、暇をつぶしてきたのが現代人です。

 まさにホモ=ルーデンスですね。

 創造的活動とは、ある意味、面白そうな遊びを提案する、ということでもあります。

 ゲームクリエーターなんて大層な名前で呼ぶとかっこいいですが、暇つぶし製作者でもあるわけで(苦笑)

 だったら、創作が芸術だとかなんだとか大げさに考えないで、肩の力を抜いてゆるーく向き合ってみるのもいいかもしれません。

 所詮は、お遊びなんですから(笑)




2013年8月7日水曜日

オンリーフリーペーパーさんの閉店について

関西は、夕立の雨上がりですが、こんばんは。

 今日は、zineについての思ったことをさらさらと。

 まず、先日からの大きなニュースは、やっぱり「オンリーフリーペーパー」さんの実店舗(渋谷パルコ)が8月11日をもって閉店、という件だと思います。

 Only Free Paperさんのニュース

 フリーペーパーの専門店、という他ではありえない着想と、紙モノ好きにとっては「気になって仕方ない店」として頑張ってこられたことに敬意を表しながら、個人的には

いやあ、結局一回もいけなかったぜ

という残念無念な感じなのですが(苦笑)


 さて、今年は、これまた唯一無二のzine専門店「Books DANTALION」さんの実店舗閉店なんかもあったりして、こちらはけっこうお邪魔していたので、zineファンとしては「ああ、居場所に近いものがひとつ消えたなあ」とかなり残念だったわけで。


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 しかし、逆に言えば、ここらでしっかり考え直さないといけない時期に来ている、とも思います。

 つまり、上の先駆的な両店が「店じまいをする」ということはどういうことか、問い直す必要性ですね。


 旧来型の店舗として扱うには「zine」も「フリペ」も、結局おそらくそぐわない、のでしょう。

 それを単純に「儲からない」という言葉でくくるのには御幣があって、

 そもそも両者とも「儲けるつもりで店舗を出したわけではない」からで、そこらへんはいろんな角度で読み解かないと、答えはでないと思うわけです。


 もうひとつ現象として私がずっと気にしているのは、「やっぱりzineの作り手が、一周したら減っていく」という点です。

 私は2011年からzineに絡ませていただくようになりましたが、その頃とても面白いzineを作っておられた方で、今もおなじようにコンテンツを出しておられる方、というのはかなり少ないです。

 つまり、数号出された時点で、自然に休止もしくは卒業なさっていくzine作家さんが多い、ということでもあります。

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 このあたり、zineもフリペもそうなんですが、「最初は面白くて楽しい」のだけれど、「きちんとした仕組み」(つまり、お金の面も含めて)として回っていかない、ことに課題があるのではないでしょうか。

 儲ける必要は全くないものの、持ち出しばかりでペイしないメディアであるため、最後は作り手のモチベーションと体力勝負にならざるを得ないところが、いいのやら悪いのやら。

 だからこそ、zineやフリペに見合った新しいビジネスモデルというか、「ぴったり息のあう仕組み」みたいなものが何かないかなあ、とずっと考えているわけです。

 「zineは旧来のメディアに対抗しうるカウンターカルチャーだ」

なんていう言い方をする人もいますが、

 いやいや、どっちにしても紙メディアは落ち込んでますよ

というオチではどうしようもありません。


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私は、個人的には紙メディアは「ハードウエアであり、ソフトウエアである」と思っています。

いろんなメディアがある中で、「再生機材を必要としない、それだけで再生可能なメディア」というのは、やはり紙のよさだと。

その上で、電子工学的にいえば「ハードウエア設計と実装、ソフトウエア設計と実装」がわりと簡単に効率よく、効果的にできるのはすごいことだと思うのです。

 
このあたりをうまく生かしていけば、まだまだ粘りがあると思うんだけどなあ・・・。


みなさんのご意見、ご感想をお待ちしております。

2013年8月5日月曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」夏休み編1】 人はなぜ創作するのか クリエイティブに生きたい理由





 こんにちは


 前回までの「クリエータ入門講座」第一章が一段落したので、後期へ移る前に、少し四方山話をしておこうと思います。





 そもそも人が「創作をする」「クリエイティブなことを行う」というのは、「なぜ」なのでしょう。


 みなさんは、自分がモノづくりに傾倒している理由、について自問してみたことがありますか?


 



 私の場合は、とにかく小さい時から、自分(の中の何か)を表現することが好きだったように思います。




 幼稚園へ入る前の年(私の地域の幼稚園は1年制でしたから、5歳の時ですね)、MBS毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」という番組に電話出演して、「今度家族で旅行に行く」という話を嬉しそうにパーソナリティに話している録音が残っていますから、当時はとても喋るのが好きな子供だったのでしょう。


 当時のラジオ放送がテープに残っているのですが、あのねのねの原田伸郎さんと大津びわ子さん相手に、いっちょ前に好き放題喋っているのが、面白いやら恥ずかしいやら。



 昭和50年代のヤンタンといえば、一世を風靡したラジオ番組ですので、それはもういきなりメジャー体験をした、と言っていいかもしれません。


 恐らく、MBSの放送史の中でも、最年少に近いラジオ出演だったのではないでしょうか。


 

 そんな私は小学校に入ると、小説ばかり書くようになりました。もちろん、本を読むのが好きだったのは間違いないのですが、その当時の私にとって「書く」という作業は、お金がかからず、設備投資が全くいらない創作術だったのです。


 後に私は映像作品をたくさん撮るようになりますが、これは社会人になってお金ができたから可能になったわけで、カメラや機材にお金がかけられない間は、やっぱり書くことしかできなかったように思います。


 大学生になると、ギターを弾いたり、音楽という表現方法にも触れるようになります。このあたりは、今にも繋がっています。


 

 しかし、方法は何であれ、とにかく私は「表現がしたかった」のには間違いないと思います。


 でも、一体なぜ?なんのために表現したかったのでしょう。




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小中学生の頃、私は「作家というものは自殺するものだ」と勝手に解釈していました(笑)


太宰治じゃないけれど、作家の究極形はやっぱり自分と極限まで対峙しての自殺だよね、となんとなく思っていました。


今となっては「なんで死ななあかんねん!」と一笑に付してしまうところですが、子供ながらに、文筆を通じて人の極限の姿を追求してしまったら、そこにある種の限界点のような恐ろしいエリアがあるのではないか、と怖がっていたのかもしれません。


あるいは、今でも三島由紀夫の死に、そうした何かを解釈する向きもありますから、一概に「作家たるもの自ら死すべし」というのは、ハズレでもない気がします(苦笑)




それはまあ、置いておくとしても、死という視点は、悪くないと思います。つまり、創作とは「自分の生の証を残すこと」という側面が大きいからです。


長い人生を歩んでこられた老人が、自分史を残したいと思ったりするのもそれですね。


歴史上有名な建築物が「あれは○○という江戸時代の有名な大工が建てたんだ」なんて、今でも言われたりするのもそうです。


人は必ず死にますから、それまでの間に、生きた証としての何か創作物を残したい、というのは本能的なものかもしれないですね。


芸術家を自称する人たちが、「自分が生きている間に理解されなくてもいい」なんて思うのも、死後の作品を意識しての発言だと思います。





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また、創作には「あるべき自分の姿と、現実の自分の姿のギャップ」という視点も必要です。現状に完全に満足している人よりも、自分の状況に不満がある人の方が、創作的であるかもしれません。


それは、現状を打破するための湧き出す力が、作品にこもっていることがあるからです。


「社会的な自分はこんなんだけれど、創作的な自分にはこれだけの力がある」


という怨念めいたものが秘められている場合もあるでしょう。


 会社勤めをしながら、創作に励む人が多いのもそうした理由があると思います。日常は抑圧されていても、創作の時間だけは自由になれる、という幸せだって、全然OKですよね。



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「創作」=作るという現象を考えたときに、一度概論を知っておくほうがよい学問があります。


 大学生だった人は、一般教養の授業で習ったことがあるかもしれませんが、高卒の人と専門学校卒の人は、おそらく知らないと思うので紹介しておきます。


 ヨハン・ホイジンガというオランダのおっさんが唱えた理論に「ホモ・ルーデンス」という考え方があります。


 ホモ、といっても性的な意味ではありません(笑) ホモ・サピエンスとかのホモです。つまり、ヒト。


 

 ホイジンガのおっさんは、ヒトというのは仕事としてのモノ作りよりも「遊び」を前提に何かを起こす、と考えました。


 つまり、ホモ・ファーベル(作るヒト)よりホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)という存在を根っこに捉えたのです。



 ホイジンガ的に考えれば、私たちが創作する理由は「なんてったって、面白いから!」でもあります。


 生産的でなくても、お金にならなくても、楽しいから作ってしまう、という部分は確かにあります。


 それが成果に結びつかなくても、夢中になって作ってしまうのも、創作の重要な部分です。





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 いろいろ考えてきましたが、みなさんは「なぜ」クリエイティブなことに夢中になるのでしょうか?


 あなたが創作する理由をぜひ、教えてくださいね。


2013年8月1日木曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」10】 クリエータとして食べていくということ



こんにちは

 人生は早いもので、この「クリエータ入門講座」も、あっという間に10回目を迎えました。

 第1回から今日までは、ざっくりと言えば「概論」みたいなもので、そろそろ次回あたりからは実践編に入りたいなあ、と思っています。

 当連載ファンの方は、ご期待ください。


 さて、まず最初のネタは、この講座の第4回で触れたハリーポッターの作者さんの件の続報です。

 「ハリポタ」作者ローリング氏、男性作家になりすました理由を吐露

 J・K・ローリングさんが、なぜ知られていない別名で小説を書いたのか、というお話。本人から回答があったのでぜひ、引用させてください。

 『ペンネームのことだが、この新しいジャンルで初心に戻ることを切望したためだ。誇大広告や期待のないところで仕事をし、完全にありのままのフィードバックがほしかった。それはすばらしい体験だったし、もう少し長くこのままでいたかったと望むばかりだ』

 
 ・・・同感です。そうなんです!ころころ名前変えるのはすばらしい体験だと!(←そうじゃない)

 というわけで、私も常に初心忘れずに頑張ります。




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 さて、今日の本題。今日は、クリエータとして食べていくということについて、考えてみたいと思います。

 「いやいや!ワタシはそんなクリエータだけで一本立ちできるなんて思ってないし!」と謙遜なさっている方!

 大丈夫です。私もあなたがクリエータだけで一本立ちできるなんて思っていません。キリッ。(笑) 

 と、まあパタリロに出てくるようなキツイ冗談はさておき、クリエータ職というものの現状も、ちらりと覗いておきませんか?

 
 とてもわかりやすく書いて下さっているブログがありましたのでご紹介します。

 『小説家では食べていけない現実』(ミステリー作家 戸松敦矩 あさっての日記)より

 2012年の記事ですが、プロの作家さんによるリアルな考察がとても興味深いです。

 
 記事から概略を読んでみましょう。

 ○プロの漫画家さんの平均年収は、だいたい500万円くらい。

 ○プロの作家さんで、年2冊ペースで刊行なさる方の年収が380万円くらい。

 ○アニメ原画担当の方で、年収200万円くらい。

 
 ごくごく一部の裕福な作家さんがいて、大半はふつうのサラリーマン以下の収入のちょっと貧しい作家さんで、それより多くの兼業作家さんがいる、という実態について教えてくださっています。

 

 さてさて、小説でも漫画でもそうですが、毎年たくさんの方が新人賞を獲って世にデビューなさいます。そして、同時に、同じかそれ以上の人が ひっそりと消えていくというわけで、出版不況なんていわれるように、消えていくほうが多くなきゃ市場は右肩上がりのはずです。そう、基本的には、みんな消 えていく方向にゆるやかに向かっているわけです。

 
 じゃあ、こう考えればいいじゃないか!とひらめいてみましょう。プロの作家と言われる人たちであっても、その半数近くの人は、別の仕事でお金を稼いでいるという事実があるわけですから、

 『自分の収入の半分以上を小説・漫画で稼いでいる人がプロで、半分以下ならアマチュア』なんて区分けはナンセンス

だということがわかります。



 つまり、『一度でも小さくデビューしたら御の字』だと割り切って、のびのび創作に励むこともこれまた現代に合った生き方なわけで。

 だからこそ、ふだんの仕事での充実と、創作活動の充実を図ることが一層重要になってくるのだと思います。

 実際、私はそういう感じで生きてます(笑)。本業の会社員に軸足を置いて、もう一方は自由な創作活動を楽しむスタイル。

 もちろん、「お前の生き方なんてどうでもいい、そこで小さくうずくまってろ!」と罵倒なさる方もおられると思いますが、その人にはぜひ頑張ってこの世の荒波を渡りきって欲しいと心から応援します。



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プロのクリエータとして自立して生きていく、ということがどういうことかを知るには

○「フリークリエイターになりたい人の独立ガイド」

○「クリエータが独立して会社を作るのに1円起業は有効か」

などもとても面白いです。

 プロになればなるほど、創作者としてより経営者としての手腕が問われることがよくわかりますね。


 プロクリエータ志望者の方が、ざっくり見ておくとよいサイト

 ○クリエイティブ ビレッジ

 クリエータの仕事探しのリアルがわかります。

 

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 というわけで、10回に渡ってクリエイターをめざす心がまえを説明したわけですが、早くも心が折れそうなアナタ・ワタシも多いことでしょう。

 そこで、講座の後編では、もうすこし目標レベルを下げて、

 「ふつうの仕事を持っている社会人が(つまり、ふつうの人が)」

 「プロを目指すのではなく、趣味+アルファくらいの領域で」

 「何か創作的なこと、クリエイティブなことを実践してゆく」

 「そして、できればその活動が社会的にちょっとだけ認知されたら嬉しいな」

 ぐらいの「ハイアマチュア~セミプロ」ぐらいのクリエータ像を想定して話をしてゆこうと思っています。

 実際の演習も交えていきますので、「自分もド素人として、参加してみたい!」という方はぜひ手を挙げてみてください。必ず、あなたも上に書いたくらいのレベルまでは到達できると思います。

 題して、「松尾バイトのクリエイター養成ゼミ」みたいな感じですね。


☆この講座では、読者のみなさんからの素朴な質問などもお待ちしています。可能な限り、何らかの回答をしてゆきたいと思っています。




 では次回をお楽しみに!