またまた忙しくて、更新が滞っていた松尾バイトを許してください。心より謝罪します。
さて、意外にみなさんが楽しみに待っていてくださる「クリエータ講座」ですので、ご期待に沿うべく、新記事投入です。
今日は、みなさんの技能向上にはあまり役に立ちませんが、心構えにおいては大事なポイントをご紹介します。
というわけで、本日の課題文はこちら
「とりマリの当事者対談 ~映画『テルマエ』のヒットで夫婦間が険悪になりました~」
超一級のクリエータである「ヤマザキマリ」さんの問題提起とは何か!一緒に考えてみましょう。
ヤマザキさんといえば、先日テレビの番組で映画版「テルマエ・ロマエ」の原作料がいくらか、ということを発言なさって、いろいろと物議をかもしたことが思い出されると思います。
上の記事は、その件の詳細な補足であり、解説になっていますので、ぜひご一読ください。
細かいことは、ここでは書きませんが、この話のポイントはどこか、というと。
一流の漫画家さんであるヤマザキマリさんの作品においても、その著作権の権利部分の大半は、出版社にゆだねられていて、ヤマザキさんに有効な行使権が与えられているのではない
ということです。
もっと、簡単に言えば、「有名漫画の作品の権利の主要な部分は、漫画家ではなく、出版社が持っている」という感じでしょうか。
(厳密にはいろいろと語弊があるかもしれませんが、ざっくりと)
私も、実は某出版社と契約して、作品を世に出しています。なので、その契約条項を頭にしっかり叩きこんでいるのでわかるのですが、ヤマザキさんのように、「私の作品の首根っこは、出版社がにぎっている」形になっています。
それは、悪い意味ではまったくなく、「私一人が勝手に好きなように扱えない」ようになっており、「ざっくりといえば、共同的に権利を所有している」というスタイルである、とでも言えばいいでしょうか。
さて、この話、ヤマザキさんは的確にツボを書いておられるのですが、
読み誤ってはいけないのは
「ああ、作品の権利は、クリエータ本人が持つんじゃないんだ」
とその点だけを見て、もやもやしてはいけない、ということです。
問題はそこではなく、これまでの日本のクリエータと出版社の関係が、
「ややこしい権利問題は出版社が丸抱えすることで、クリエータが自主的になんにも考えなくてもいいようなシステムになっている」
という所が真のポイントなのです。つまり、クリエータ側も、これまで単純におんぶに抱っこされてたことが問題だ、と。
比較として上がっているのが、海外における「契約」のスタイルですね。
海外では、なんでもかんでも先に契約をして、それを守り通すのがクリエータとプロデュース側の約束事になっています。
それが日本では、クリエータ側は何にも文句も言わないし、自分でも考えることをしない文化になってしまっている、ということ。
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そして、次に新たな展開が待っています。
このことに気付いたヤマザキさんは、自分もきちんと事態を把握することで「このままではいけないので、日本流クリエータシステムを変えなきゃいけない」と思い、行動に移したわけです。
出版社も、編集者も、そして、クリエータたちも、これまでのスタイルにあまり意義を唱えず、「これでいいんじゃない」と思っていたことが、そもそもどうなの?と。
もう少し、きちんとしようよ!ということですね。
では、このことを当クリエータ講座的には、どう捉えたらいいのでしょう。
それは簡単です。
アナタ・ワタシがいま
「自分がいい作品を作ったり書いたりして、それがなんとか賞に認められて、デビューできたらいいな」
と思っているとしたら、それがそもそもの間違いだ、ということです。
出版社やプロデューサーが王子さまのように、アナタを発見してくれて、そして宮殿へ連れて行ってくれる、という物語そのものが、完全に「おんぶにだっこ」なわけですから、
もっと自分の作品に、独立した自分として責任を持って当たれ、ということになってきます。
それは、これまで創作だけに専念できたクリエータにとっては、営業能力と交渉力と法律知識を持たないとダメだ、と言われてると捉えてもかまいません。
究極的には、自分の作品という商材で、どう経営するのか、ぐらいの勢いがあっていい、ということです。
まあ、あいかわらず厳しい言い方をしていますが、こういうことを頭の片隅にちょこっと置いておくだけで、心がひきしまるのではないでしょうか(^^
アナタを愛してるので、ここまで厳しく言ってます。がんばってください!
<実習> 課題文を読んで、自分なりに気になった点や、感想をまとめてみよう
ではでは。