2018年11月27日火曜日

カップヌードル「うに」を食べてみた ~ カップヌードルリッチ 贅沢濃厚うにクリーム ~


この11月に発売になったばかりの


「カップヌードルリッチ 贅沢濃厚うにクリーム」


を食してみました。



 ふふふ、ウニの本場でもある北海道に長年住んでいたわたしにとって、「ほぼ・うに!」と言われれば試してみなくては気が済みません。



 北海道の朝市とか行くとね、板に乗ったうにの塊が観光客なんかをとらえて放さないのですが、さてさて、カップヌードルで再現されたウニとは、これいかに。




 どん!
 
 




 開封状態では、なんだかカサカサでけっこう小さいです。


 ま、まあフリーズドライだし、こんなもんだよね(汗)




 ところが、お湯を注いで三分間待つと・・・・・・。




 





 で、でっかくなっちゃった!!!!!



 ウニとブロッコリーの色あわせが、食欲をそそるいい感じ。




  さて、肝心のお味は???





 




 口に入れたファーストインプレッションは、



「・・・まあ、違うわなあ」



とちょっと残念、反発力のないスポンジのような雰囲気もありつつ、それでも溶けないわけではないという絶妙に微妙なところをついてきます。



 しかし、ここであきらめてはいけません。


 ゆっくり下の上で押しつぶすように溶かしてゆくと・・・・・・



 なんじゃこりゃあああああ!!!!!



突然、隠れていた濃厚な風味が、それはまさにウニっぽい風味がのどの奥から鼻を抜けてゆきます。


 なるほど!このへんが「ほぼウニ」なのか!




  カップヌードル全体としては、それなりに美味しい仕上がりですが、やはりここは


「うに単体」


を楽しむべきだと。



 ごちそうさまでした。




2018年8月26日日曜日

【映画の感想】  カメラを止めるな!は映像やってた人間にとっては同窓会っぽい。



 大ヒット御礼中の「カメラを止めるな」ですが、もちろんわたくし松尾も拝見いたしました。


 感想書こうかな、と思ってた矢先に「いわゆるパクリトラブル」まで起きてしまって、タイミングを逃しておりましたが、



「カメラを止めるな」本編、ならびに、「著作権等について」



のどちらも、感想を書いておきます。



 公式 カメラを止めるな
http://kametome.net/index.html







<映画編・感想>


 ネタバレなしで書いてしまうと、これまたのちにトラブルになる原因でもある



「構成やプロット、展開とは何か」



という点では、先行作品や似たものは他にもあると思います。 だから、「カメ止めの構成やアイデアはすごい!」と捉えてしまうと、そこはいろんな意味で問題があるかな~という感じもします。


 しかし、前半と後半を総括した中でのこの物語のスゴさ、というか「良さ」というか「熱さ」というのは、



「クリエイション活動を行ってきた人たちにとっては、あの頃の自分だし、今行っている人にとっては、今の自分だし、まだ何者でもない人たちにとっては未来の自分」


でもあるような、そういう青春の熱気なんだと思います。




 私も、HDになるまでのSD時代に足かけ十年近く映像をやってきて、ああいうことをしていました。それは懐かしい気持ちでもあるし、「いいなあ!」といううらやましさでもあるし、なんだか、


 同窓会で話に花が咲いているような


そういうテイストが感じられた点が、グッときたのです。



 もちろん、映像屋さんだけじゃなく、演劇やってた人でもいいし、文芸でもいいかもしれない。


 体育祭や文化祭の運営をしたことがあるよ、とか、そういうのでもいいです。


 若さとともに一生懸命何かを考えて、それをやった!という人には、「カメラを止めるな!」の空気感は、すごく共感できるものになるのだと思います。







 <著作権編・感想>


 実は、私も長編映画の権利をひとつ持っています。それを小説化したり、あるいは舞台化する場合にも、権利として私の許可が必要なものをひとつ所有しているし、その契約書も持っています。



 ところが、とても悲しいことに、それを書いた人物が現在では死去してしまっていて、仮に私がその権利を行使して映画や小説を発表してもいいのだけれど、



「そのことを遺族がどう感じるか」



に注目すると、どちらが善や正義かわからないので、封印している、という作品です。


 作品そのものは、短編パイロット版が、小さな映画祭の賞を受賞したりもしているので、よい作品であることは間違いないのですが、私はその作者に敬意を表しながら、今のところその作品を封印しています。





 あるいは別の作品で、モデルとなっている人物がその公開をよく思わなかったので封印している作品もあります。



 また、私が高校時代に作った演劇は、その下の世代の中学生などによって結果3演されているらしいのですが、原作者への断りなどは一切ありませんでしたが、まあ学生のやってることですので、目くじらを立てて何か言うほどのことではありません。


(個人的には、後輩達が私の知らないところでその演劇を再演していた、ということは嬉しいことなのですがね)



 こうしたことは、本当に難しく、今回の映画のように「GHOST IN THE BOX」の舞台を再演したり、あるいは「カメラを止めるな!」に大きく変えることについては、いろんな気持ちの問題や、細かな手続き上の問題が生じることは多々あるのです。


 単なるアマチュアの私にでさえ、そうした作品が2つも3つもあるのですから、こうした著作権上の手続きは、本当におろそかにせず、時間をかけて準備をしてゆくほうがいいと思います。


 今回の映画については、ここまでヒットしなければ、大きなトラブルに発展しなかった、というifもあるのかもしれません。






 上田慎一郎監督と奥さんのふくだみゆきさんの二人三脚での活動振りを見ていると、


「ああ、うちの奥さんと私もこんなことずっとやってたなあ!」


という新婚の頃の私達を思い出します(苦笑)



 うれしはずかし懐かしいですね。



  私は残念なことにその後、映画人にはなりませんでしたが、大林監督やら井筒監督やらにいろいろ褒めていただいたり、小さな賞をいろいろ頂いたのは、よい思い出です。



2018年8月2日木曜日

【PuppyLinux備忘録006】 BrowserLinux 501を128MのUSBメモリにぶちこんでみた



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 PuppyLinuxを実用的に使うための備忘録です。



 今回は、超軽量と言われたBrowserLinuxを128MのUSBメモリで運用できるのか実験。



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 もはや15年くらい前のものでしょうか。


 128G(ギガ)じゃなくて、128M(メガ)の頃のUSBメモリ。



 ふだんPuppylinuxをライブUSBで運用している松尾ですが、今回は、なんと、




 93MBしかない、BrowserLinux 501を128MBのUSBメモリに入れて動くのか



大実験してみました。



browserlinux https://www.browserlinux.com/


 ブラウザリナックスは、その名のとおり、基本的には「ブラウザしかない」linuxで、そのためにサイズが極小の93MBしかありません。


 スペックは


  • Web-browser: Firefox 5.0.1
  • Flash 10.3
  • PDF-reader
  • Music Player


こんなの。firefox古すぎですが、そこはご愛嬌。



 さっそくインストールすると、



動いた。しかし、設定を保存しようと保存ファイルを作ったら、




ストレージがほとんどないから死にそう!


と怒られました!!!



(ちなみに、保存ファイルを作らなければ、とりあえずはなんとか動きます。 その場合はライブCD起動とまったくおんなじ状態ですが)



さらに、日本語化もされていないので、日本語化のためにsfsファイルを当てると、さらに容量が切迫するので、



たぶん、実用にはならない


と思います。残念。



 ちなみに、保存ファイルを作らない状態でのUSB内部のファイルサイズは、



こんな感じ。



93MのブラウザLinuxさんでも、116Mは取られてしまいます。


残り23Mでは、ブラウザのキャッシュにもならん・・・。





2018年7月27日金曜日

【PuppyLinux備忘録005】 PuppyLinuxでプリインストールされたソフトを削除する方法



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 PuppyLinuxを実用的に使うための備忘録です。



 今回は、プリインストールされたソフトを外す、削除する方法



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 初期のPuppyLinuxや、私が使っている571系のPuppylinuxには、そもそも「当初からインストールされたソフトを外す機能」というのがついていないのですが、比較的最近にアレンジされた派生PuppyLinuxには、



『remove builtin packages』


という機能が、メニュー>セットアップ>のところに用意されていることが多いです。




 まあ、たしかに直訳すると「ビルトインされたパッケージを外す」ということで、プリインストールソフトを外せることは外せるのですが、



 よくヘルプを読んでみると、こんなことが書いてあります。




 要するに、実行中のパピーのファイルのすべては圧縮されたsfsファイルに入っていて、(もっといえば今現在、ナウはメモリのなかにいるわけで)実際には組み込まれたソフトを削除できないので、



 次にその版のリマスターCDを作る時には、実際に削除されてサイズも小さくできるよ



ということなんですね。



 逆に、というか、ただしというか。



 FULLインストールしている場合は、実態そのものが存在するので、その場合は本当に削除できる、ということのようです。




 なので、たとえば



「USBインストールで運用していて、USBのスペースが足りないので、サイズを小さくしたいから、プレインストールソフトを選別したい」



という場合は、いったんプレインストールソフトを消したとしても、リマスタしないと意味がない、ということになります。



 これ、意外なる盲点。










2018年7月21日土曜日

【PuppyLinux備忘録004】 PuppyLinuxで運用するしんびわ・琵琶・ビューワ



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 PuppyLinuxを実用??的に使うための備忘録です。



 今回は、ちょっとマニアックですが、琵琶を使うための方法。


 18禁なのでよゐこの男子のみで。



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 ライブチャットビューワの琵琶をLinuxで運用する場合のヒント集です。

 なんのこっちゃわからん人はスルーしてください。


 


1) PuppyLinuxはどんなのでもたぶんOK。

 Precise-571JP以降は、ほぼ動作確認しています。



 ★確認はしていませんが、ほかのLinuxでも動くと思います。






2) googleーChrome系では動かないので、Firefox系のブラウザを使うのが良いと思います。


 Firefox

 Firefox ESR

 Light(ブラウザ)

 Palemoon


で動作確認しました。


 琵琶本体は、


 × 170508

 ○ 160611

 ○ 151001


 で動作確認。新しくなったFlashPlayerの設定ファイルなし版(170508)は動かし方がわかりませんでした。

 むしろ古いシリーズのほうが動くと思います。






3)Firefoxはオプション設定から「ポップアップウインドウをブロックする」のチェックを外しておくこと。これはLinuxとは関係なし。







4)Puppy LinuxではGet FlashでFlash Playerを取得してくるときに、最新のFlashにしないことが重要。


 最新版は動作しません。



  
 ↑GetFlashの1.7最新版では、こんな風に選ぶことができます。

そのままだと画像のように最新版がチョイスされてしまうので、下の2つのどちらかに変えます。

FlashPlayerの30.0.0では、琵琶は動作しません。

11.2.202と10.3.183は動作します。






5)Flashのグローバルセキュリティは、内部の操作パネルではきちんと動作しないので、オンラインのほうを使うこと。


http://www.macromedia.com/support/documentation/en/flashplayer/help/settings_manager04.html


で直接設定する。




( この画面は通常の検索からは出てきません。すでに隠されているのかな?

 
https://www.macromedia.com/support/documentation/jp/flashplayer/help/settings_manager.html


に説明がありますが、adobeとしては、最近は設定をオンラインではなく、flashプログラム側に持たせているようです)




さて、とりあえずオンライン版はこんなの↓



のように「常に許可」のところにチェックを入れる。




☆FlashPlayerは古いバージョンを入れ、なおかつセキュリティも甘く設定するので、このあたりは自己責任でお願いします。



 そりゃ、最新版を入れて、セキュリティも厳しくしたほうがいいに決まっているのですが、ここは琵琶を動かすには、ということであえての研究用設定ですよ。






6) コツは?


 ■ポップアップウインドウの許可はしたかね?

 ■Flashが最新版だとだめだぞ。

 ■Firefoxは最新でも大丈夫。

 ■Flashが古いと警告が出て止めてくれる場合があるけど、「プラグインをブロック」ではなく「許可を続行」でそのまま続行しましょう。



 まあ、これでたいてい動くと思います。



【PuppyLinux備忘録003】  派生PuppyLinuxを日本語化する



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 PuppyLinuxを実用的に使うための備忘録です。



 今回は、日本語ではない派生系のPuppyLinuxを日本語化する方法。



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1) Slackoなどの派生PuppyLinuxは英語のままなので


 Skacko Puppy Linux
 http://slacko.eezy.xyz/index.php


日本語にするための作業。



2) お世話になっているシノバーさんの格納庫から


http://shinobar.server-on.net/puppy/opt/



 lang_pack_ja-1.9.sfs   08-Jun-2014 20:01  18.8M  
 lang_pack_ja-2.0.sfs   31-Dec-2015 22:22  19.1M  
 lang_pack_ja-2.1.sfs   28-Feb-2017 20:41  19.8M 
 
 
などが日本語化パック。これを適用。
 
 
個人的には、Slacko6.3 ぐらいの時に2.0を使って、最近のSlacko7(6.999)ぐらいは
2.1を使わせていただいております。感謝です。
 
 
日本語化はそれほど難しくありません。
 
 
 

【PuppyLinux備忘録002】  PuppyLinuxに Firefox をインストールする方法



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 PuppyLinuxを実用的に使うための備忘録です。



 今回は、PuppyLinuxにFirefoxをインストールする方法。



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1) シノバーさんのサイトを訪れる。


  走れパピー
 http://shino.pos.to/linux/puppy.html


(PuppyLinuxに関しては、本当にお世話になる偉大なる先人のサイト)



2) パピー犬ちゃんのすぐ下にあるDownloadsをクリック


3) optional SFS 以下に、いろいろ格納されている。



4) firefox-28.0-ja_fp112.sfs       18-Mar-2014 22:35  37.9M  


のsfsファイルをダウンロードしてインストールする。


 これでFirefoxの28がほぼ自動で入るが、そののち、Firefox自身の「Firefoxについて」のバージョン表示のところへ行くと、更新の案内があるので、そこからこれも自動で最新版へ更新できる。



 なので、 Firefoxのバージョンはどれでもいいので、入れたら最新版までアップデート可能。


 これは楽ちん!




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注意事項)


 PuppyLinux向けのsfs・PetファイルでFirefox ESRが転がっていることがあるが、ESRも最新版に更新できるものの、ややくせがある。

 通常版とおなじバージョンまでアップできるわけではなく、あくまでもESRとしてバージョンが上がる。


 2018年夏、確認しているものとしては


通常版 Firefox 45.02

ESR版 Firefox ESR 38.4


まではアップデートできた。



 もっと最新も可能かどうかは、まだ調べていない。


【PuppyLinux備忘録001】  PuppyLinuxに Google Chrome をインストールする方法



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 PuppyLinuxを実用的に使うための備忘録です。



 今回は、PuppyLinuxにGoogleのChromeをインストールする方法。



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1) Puppylinux にChromeをインストールします。


 http://smokey01.com/OscarTalks/

(smokey01さんによって収録されている格納庫)


より

■ google-Chrome-48.0.2564.97-i386.pet    29-Jan-2016 19:52   65M 
 
■ google-Chrome-48.0.2564.97-i386.sfs    29-Jan-2016 19:53   65M
 
 
の どちらかを使用。sfsファイルもしくはPetファイル。


Chrome 48 の32ビット版です。


(48.0.2564 2016年1月バージョン

安定最新は 55.0.2883 2016年12月バージョン)


 


 インストール作業はほぼ自動。
 
 
 
 
 
注意事項)
 
 フォントが半角部分がギザギザになる。アンチエイリアスが失われたような字体。
 
 日本語入力ができない場合は、
 
  メニュー >
  デスクトップ > 
  SCIM入力メソッドの設定 > 【scim-bridgeを使う】のチェックを外すこと。
 
 
 
 
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 余談です。
 
 
 Chromeの32ビット版は、2016年3月で更新終了。
 
現在はLinux向けは64ビット版が公式サイトからダウンロード可能。


https://www.google.com/intl/ja/chrome/


.deb  .rpm

 
の2種類のファイルがあります。


 
ubuntu向けは、
 
https://google-chrome.jp.uptodown.com/ubuntu/old 
 
に42(2015年4月)までの旧バージョンがあります。
 
 
 
  

2018年7月20日金曜日

とにかく軽快・軽量を求める人の おすすめ 軽量linux 2018 ベスト3!




 最近、松尾バイトとしてはなーんにも活動していないなあ!ということで、ちょっと趣向を変えてしばらく個人的なPC環境について書いていこうと思います。




 というわけで、もはや20年近くLinuxを触り続けているマニアなおっさんが、軽量・軽快なLinuxについて解説。



 おっさんこと松尾さんは、


■ MS-DOS(3/5)


からはじまって


■ MSX-DOS  おい!


やら

■ Windows3.0

■ Windows3.1

■ Windows95/98

■ WindowsNT

■ Windows2000/Vista

■ WindowsXP

■ Windows7

■ Windows8.1

■ Windows10


と、仕事やプライベートで9801系やらAT互換機系をいじり倒してきたわけですが、結局、業務ではwindowsを使っているものの、ウェブを見たり、ブログを書いたりは、



 もはやLinuxしかありえない



状態になっています。


 その理由の大半は、Windows系は、それなりにパワーのあるハードではちゃんと動くし、必要なソフトも使えるのだけれど、ちょっとマシンが非力になってきたり、OSを長く使っていると肥大化して重たくなってくるからどうしても敬遠しちゃうからです。


 そして、重要な書類や、仕事上保存しなくてはならない文書以外は、Linuxで適当に扱ったりあしらったりするだけなら何の問題もない、ということもあるでしょう。


 ようするに


 エッチなサイトを見るのに、重要書類の詰まったマシンで見たりしたくないじゃない?!


ということだったりもするわけで。←そこ?!





 冗談めかして言ってますが、ウェブサイトをうろうろしていると、やっぱりwindowsでは踏んだら地雷になるような怪しいサイトもあったり、思わぬことでウイルスや”もどき”を掴まされてしまうこともあるので、マシン本体をクリーンに保つには、



使い捨てOS(いざとなったら丸ごとフォーマットできる)


が一番です。



 その用途には、 ライブUSBに焼いたLinuxが一番です。



 というわけで、軽量・快適に実用的に使えてしまう 激速Linuxを3点 お教えいたしましょう!







■ 第3位 ■  PuppyLinux Precise-571JP



 いわずと知れた軽量Linuxの決定版かつ日本語バージョン!


システム要件

CPU: Pentium 166MMX, RAM: 128MB, CDROM: 20倍速以上
メモリーは 5系256MB以上



 まあ、Ubuntu系やら、Fedoraやら、あるいはLinuxBeanやら、いろいろと軽めと言われているLinuxディストリビューションは、試してみましたが、結果として


軽量さ、軽快さ、マシン認識の容易さ、全体のバランス、情報量


のどれを取っても、PuppyLinuxが最高峰です。まあ、だまされたと思って、使ってみてください!


 Linuxを安定して使おうとすると、HDなどへの正規のインストールが必要になってくるのですが、PuppyLinuxは、USB起動ができて、かつ、USB内部に記録、記憶が可能です。

 なので、HDDへのインストールをせずに、全機能を使うことができるのが便利!


 それ以外のライブ系Linuxは、


■ ライブCDやライブDVDから起動はできるが、本格運用にはHDDへのインストールが必要なもの

■ ライブ立ち上げをしても、HDDに保存・記憶領域を作らなくてはならないもの

■ ライブUSBを作っても、お試し用と本格インストール用にしか使えないもの


などがあります。


 Puppyは、ライブCDやライブDVDではもちろん、保存記憶はできませんが、ライブUSBで運用すると、なんとそのまま起動・保存・記録領域までそのUSBに作れてしまうため、もともとのマシンのHDを一切汚さずに使うことができるのです。


 Precise-571JPを第3位にした理由は、


「リリースが2014年で、さすがにちょっと古い」
「プレインストールのソフト群にややクセがあったり、古さもある」
「571系以降のアップデートがない」


というあたりでしょうか。


 その代わり、

「当初から日本語化されており、まるで教科書のようなPuppyLinuxであるため、一番最初はまずPrecise-571JPをライブUSBで試しながら、慣れていくのがベスト」


とも言えるでしょう。まずはここからお試し!という入り口です。

 
 シングルコアのパソコン、XPが動いてたパソコンが転がっていたら、ぜひ人身御供にしてあげましょう。











■ 第2位 ■  PuppyLinux ArtfulPup(Upup)




 軽量Linuxであるpuppyは、日本語版こそ更新が止まっていますが、本家から派生したその他シリーズは、けっこう新しい更新がなされています。


 そこで第2位に選んだのが、Artfulpup(Upup)です。


 アートフルではいまいちよくわかりませんが、UpupのUは



ubuntu



ベースであるとことを示しています。




 Linuxディストリビューションの中でもUbuntuは、もともとわかりやすいシステムを目指しているので、私もLubuntuを軽量Linuxとして使っています。


 ではなぜLubuntuをおすすめしないかと言うと、たまーに


「GUIでログインしようとすると弾かれる(CUIでなら入れる)」


というエラーが出るからなんですね。


 ソフトウエアの更新にどこかでひっかかると、こいつが起きるので、仕方なくテキストベースで設定しなおさないといけないので、凹みます。



 さて、このArtfulpupのかっこいところは、アイコンがiphoneみたいにオサレなこと。


このあたりは好きな人どうぞです。














■ 第1位 ■  PuppyLinux slacko-700 rc3





  おいちょっと待て!全部PuppyLinuxやないけ!というツッコミ、ありがとうございます。


 そうです。全部パピーです(笑)


  Slacoはその名のとおり、SlackWare ベースの、まさにLinuxのガチ王道みたいな派生シリーズです。



 まあ、ぶっちゃけどれを使ってもいいのですが、Precise-571JP以外は、プレインストールソフトがもう少しこなれていて、使いやすくなっています。



 たとえば、どういうところが違うかと言うと、flashをインストールするgetflashというソフトがあるのですが、古いシリーズだとサーバーから拾って来れなかったりするのが、最新版に近いほどすぐ拾ってこれたり、最初に入っているブラウザの種類がいろいろ違っていたり、細かいことですが


「かゆいところに手が届かないのが571系」


「あ、便利になってる!のが新しめのpuppy」


ということですね。



 ただし!Precise-571JP以外は、最初は日本語ではないので「日本語化」作業が必要になります。


 慣れると日本語化は全然むずかしくないし、素晴らしい先人たちがすでにツールを作ってくれているのですが、そのあたりでつまづかないためにも


「最初にPrecise-571JPで慣れておく」


のはいいことだと思います。





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 個人的には、ずっと、Precise-571JPのぐりぐりカスタマイズ版とslaco6.3を使っていたのですが、最近、slaco700が出て


「いいじゃん!」


ということで移行しはじめているところ。






 ちなみに余談ですが、世界三大パピーと某所で呼ばれているディストリビューションがあって、



■ Artfupup-17.11


■ Dpup-Stretch-7.5


■ slacko-700 rc3



の3つがそれなんですが、真ん中の Debianベースの Dpup-Stretch-7.5 は、私の環境では、けっこう


「処理待ちで止まる」


ことが多かったので、今回はチョイスから外しました。



 松尾さんが検証用に使っているマシンは、いちおうデュアルコア(32ビット)なので、軽量なるpuppyLinuxではほとんど処理待ちで固まることはないのですが、Dpup-Stretch-7.5 の挙動を見ていると、3つの中では若干重いのかな?という気がします。



 体感的には「Lubuntu」では固まらないのに、「Fedora」では完全に固まる。

 でも、「Dpup-Stretch-7.5」では、


「あれ?止まってる?動いてる?」


ぐらいの迷いが生じたぐらいのタイミングで戻ってくる、という感じです。


(個人の感想です)





 というわけで、ボチボチですが、このLinuxに関してのシリーズはいろいろ書きたいと思います。






 

2018年3月9日金曜日

何者かになるということは、何者かでありつづけることである。 ~「野ブタ。をプロデュース」作者の話~




 白岩玄という名前を聞いて、私を含めてたいていの人が「誰だっけ」となることは想像に難くない。


 この「誰だっけ」という感覚と、その答えを聞いたときの「ああ!」という感覚について、実に的確な考察を白岩玄さん自身が、告白と独白をおりまぜながら書いているのが、とても面白かったので紹介したい。




夜な夜な宇多田ヒカルへファンレターを送る20歳、ある日突然作家になる。
http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018020625311.html



「野ブタ。をプロデュース」の大ヒットがもたらした栄光と苦悩
http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018022637541.html





 このブログを書いている松尾バイトは、「誰だっけ」の真骨頂のような存在で、「まだ何者でもない」し、しばらく「何者になる予定」もなさそうな一個人である。



 しかし、私の正体を知っている人は、相変わらず個人の私に対して「よ!有名人!」とギャグを交えながら声をかけてくるし(取引先の人に多い)、友達などは「みたよー!」と黄色い声を上げてはくれるので、彼らにとってみてはすでに私は


「何者か」



であるらしい。



 実際、この一週間で、私のスマホはピコピコ鳴り続け、ひっきりなしに押し寄せてくる、私へのオファーは二晩で150件にも達した。



 彼らにとってもまた、私は何者かであるのだろう。 まるで、なんとかグランプリに優勝した芸人さんの番組終了時のように、私のスマホは鳴りっぱなしである。




 よって、私自身は、「何者かになる」ということの意味も知っているし、「何者でもない」ということの意味もよくわかっている。


 だからあえて、誰にも知られていないこのブログで好き放題モノローグを吐くのが心地よいのだ。





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 「野ブタ。をプロデュース」という物語のことは、少し前にティーンだった人から、ある程度のおっさんまで、誰もが聞き覚えがあるだろう。


 しかし、その作者が「白岩玄」さんであったことは、ご本人がご自身でおっしゃっているとおり、誰もが覚えていないに違いない。


 その理由はいくつかあって、たしかにその小説はヒットしたのだが、その物語が大ヒットした理由は、



山Pと亀梨くんと掘北真希ちゃん



という、稀代の青春スターが出演したテレビドラマだったからである。



 そして既に時代は流れ、山Pはなぜかトラブルを抱え、亀梨くんは亀の格好をさせられ、掘北真希ちゃんは引退してお母さんになってしまったという、それくらい時は過ぎている。


 ましてや作者の白岩さんのことなど、誰も覚えておらず当然なのかもしれない。ごめんなさい。




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 余談ではあるが、堀北真希ちゃんの演じる「野ブタ」と呼ばれる少女の演技は、



抜群に、それはもうびっくりするほど



上手だった。このことを説明するのは難しいのだが、それほど、挙動不信でびくびくしながら自信なく生きる少女の姿を再現するのがとても上手だったのだ。


 そして私はそうした女の子たちと故あって接することが多かったために、彼女の演技を見ながら、


「これは本物以上に、そうした生徒たちの行動や心の動きを再現している」


と感心したものである。その後、その才能にふさわしく、掘北真希ちゃんは、大女優へと上り詰めていったのだが。




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 先ほど書いたように、わたくし松尾バイトは、まだ何者でもない。仮に松尾が作家にでもなって、全国でデビューして「何者か」として自分を成したとしよう、しかし、白岩さんと同じことで、いつかはまた何者でもない誰かへと逆戻りしてしまうだろう。



 先ほどこれまた書いたように、150件のオファーがあろうが、それらを全て片付けたら、わたしはまたただのおっさんへと逆戻りするのである。



 それを知っているから、わたしは別段舞い上がりもしないし、逆に落ち込みもしない。



 わたしが何者かになろうが、なるまいが、「わたしはわたし」でしかないのである。しょせん。





 芸能人が、芸能人であり続けることが凄いのは、彼らは「何者かになる」という瞬間を継続できるからである。



  テレビに出る、番組に出る、ラジオで喋る、雑誌に載る。


 それらを、数ヶ月程度で終わらせず、次も、またその次も継続する。それが継続できている間が芸能人なのであり、かつ「何者か」である、ということなのだ。



 もし、それを継続することを辞めたり、あるいはできなかったりしたら



「一発屋と呼ばれたり、”あの人は今”に呼ばれたりする」



だけであり、下手すると「あの人は今」の「あの人って誰?」という存在に逆戻りするわけで、これはむしろド素人となんら変わりない。それはそれでまあ、よいのだけれどね。



 なので、「何者かになりたい」と思っている若人にアドバイスめいたことがさせてもらえるなら、



「なんでもいいから、それを続けろ」


と言いたい。”それ”のおかげで有名になったり、メシが食えなくてもいい。


それをやり続けている間は、君は必ず、間違いなく「何者か」である、ということは胸を張って後押しできるし、わたしはそれを認めるからだ。


 心から応援するし、あなたの味方でいようと思うからだ。



 若者はかならず誤解をして、「何者かになる」ということは「有名になること」だと思いがちだけれど、白岩さんのエピソードはそれはたぶん違う、ということを教えてくれる。


 
 「何者かになる」ということは、「何者かでありつづけること」以外にないのだ。



 有名になることは、瞬間で、その瞬間をどれだけ継続できるかが「有名であり続けること」なのである。


 そんな凄いことができるのはタモリさんかさんまさんぐらいのものである。



 島田紳助さんですら、すでにティーンは彼を知らないのだから。


 なんなら上岡龍太郎さんでもいいや。



 2人とも、「何者かであり続ける」ことから撤退したけれど、幸せに生きておられる。



 それもまた人生である。




2018年2月15日木曜日

ラノベ業界バブルは、あとどのくらいで崩壊するのか説



 なんだかラノベ業界がきな臭いなあ、とここ数年思っていた松尾バイトさんですが、なんだか中の世界は


 大変なこと


 になっておるようで。


 まあ、申し訳ないのですが、松尾さんはすでにアラフォーのおっさんになっているので、一昔前にはそれこそ、朝日ソノラマの文庫とか読み漁っていた時期もありましたが、(ふっるーーーーー!!!)  すでにラノベのラの字も読んでいないお年頃。



 なので、基本的には、世の中で出版されているあれやこれや、あるいは本として体裁を整えて出ているたいていの出版物は、ある一定のレベルをクリアしているはずだとは思っていたのですが、どうもそうではないようです。



 ラノベは編集者の代筆が当たり前になっている件
 http://www.cyzo.com/2018/02/post_151237_entry.html



 どうも、ラノベ業界ではすでに書ける人材が枯渇し、粗製濫造のあまりに作家のレベルもおいつかず、編集者が代筆するのもよくあること、らしい(><;;;


 その昔、しょーもないゲームが出来すぎて、ゲーム業界全体がポシャッてしまったという


 アタリショック


という事件がありましたが、まさしく平成の



 ラノベショック



の到来を予感させますな。




~~~~~~~~~~




 それから記事には書かれていませんが、ネットのラノベはランキングとPVを元に評価されて出版へと繋がるわけですが、


 自分でランキングを上げる行為


やら、ましてや出版された本ですら


「もっともたくさんその本を買ってくれるのは、その本の著者である」


ということわざがあるくらい、いろんな裏事情があったりするようで。



 なんだかなー。と思わざるを得ません。



 もしかすると、ラノベバブルは、もうすぐビットコインのようにはじけてしまうのかもしれません。







2018年2月7日水曜日

雑誌取材とテレビ取材を受けた件 ~これからのメディアのあり方~



 この名義ではないものの、立て続けに2本のメディア取材を受けていたので、そのお話を。


 ひとつはテレビで、某公営放送さんから2日間に渡る長期取材ロケを受けて、ロケバスに乗ってあっちこっち移動してきました。

 ワタクシ松尾は、いろんな活動をしているので、


(ていうか、この松尾バイト名義がいちばん何もしていない。もともと何をするための名義だったかというと文章を書くために作った名前だったのだが、Zineをちょこっと作ったりするのに使っただけで、もったいないなあ!)


その別活動に密着、みたいな感じだったのですが、わざわざ東京からロケ隊が3人来て、+ロケバス運転手さんの4人チームアンド松尾の5人でそこらへんを旅して撮影しまくるという怒涛の2日間でした。


 いやー、メディア製作側も、たとえば、撮影されるタレントさんとかも、大変なおしごとです。


 放映される尺は、十数分なのにカメラが回っている間だけ数えてもおそらく5~6時間分ぐらいはあるんじゃないか、という手間のかかり具合で、おまけに東京からわざわざチームを送るわけですから、


・・・・・・これ、経費すごいかかってるよね(^^;;


と恐縮。こんな松尾のようなしょーもないおっさんを撮りにこさせてごめんなさい、ですよ。





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 一方、これまた大手経済系雑誌さんから、「雑誌記事」の取材があってこちらもロケ日程とどんぴしゃかぶってしまったので、実はてんやわんやだったりしました。

 
 でも、興味深いのはその取材方法。


 基本はメールでの事前アンケートみたいな質問コーナーと、そのあと電話で質問コーナーに補足するような形でインタビュー。

 それで記事製作そのものはOKなのだと。なるほど、省エネですな。


 おまけに、写真の指定があって「こういうシーンとこういうシーンの写真をiphoneでいいから撮影して送ってね」ということで、これまた簡素というか簡単というか。





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 この2つを対比すると、興味深いことが浮かびあがってきます。


 というのも、テレビ取材はめちゃくちゃ費用がかかっているけれど、雑誌のほうは、ほとんどコストがゼロなんじゃないか、というくらいの低コスト。どちらも東京からの取材なんだけれど、写真すらこっちで


自撮り


して送ればOKなんだから、簡単です。



 そりゃ、テレビは衰退するわな!ネットは隆盛するわな!という感じです。


 むしろyoutubeなんかがこれだけ広まる背景には、その場に居合わせる空気感を出すためのライブ映像ですら、




実は自撮りで十分



ということを示しているのかもしれません。



 ただ、なんでもかんでもコストが低けりゃいいってものではなく、さすがは公営放送さんだなと思ったのは、その映像についてこんなルールがあるということがわかったから。



■ 間違いや、嘘を流してはいけないので、かなり正確に裏取りをすること。


■ 話の内容を的確に示す絵面をきちんと撮影すること。



この2点については、すごくシビアに真摯に向き合っておられるなあ!という感じです。



 どういうことかといえば、

「本物や本当であるかをちゃんと撮りにくるためにコストをかけてやってくるのであって、イメージ映像とかで逃げるつもりは毛頭ない」

ってことです。

 だから自撮りではダメなんですね。逆にいえば、その場所で、実物映像として証明できないものは、撮影しないんです。



 たとえば、話の本筋に関係ありそうな場所をロケハンして確認するんだけれど、「これは映像で説明する、という作業に向いていない」と判断したら、アウトなんですね。


 もちろん、ナレーションや別画像などで、実際には流れる画面には別の素材を使えるのだけれど、関係ありそうだけど実は関係ない映像で逃げることはしない、ということなのだそうです。

 さすがはエヌ○ケー。



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 最近、ブログやらネットの記事なんかには、素材画像やイメージ映像が溢れていて、話の本筋に関係ありそうで実は関係ない絵面が溢れているのだけれど、考えさせられました。


 何を伝達し、発信するかって、難しいけど大事なことね、と。











2018年1月19日金曜日

「なろう系」ラノベは、創作界の読むレッドブル?



 この間から、ずっとラノベやら文学やら、あるいは創作について考えていて、



 1) ストーリー不要の時代を読んで(創作はどこへいく?!)
  https://arekore-doresore.blogspot.jp/2018/01/blog-post.html


 2)  文学とラノベの境界線がわかった!
 https://arekore-doresore.blogspot.jp/2018/01/blog-post_17.html



 
とくに2番めの論考なんかでは、


 なろう系小説と多幸感


についても考えてみたところである。



 すると、興味深いことにちょうどタイムリーに、「なろう系小説とはいかなるものか」について、瞬間で理解できる良記事を挙げておられる方がいた。わーい。



 それがこれ。・・・・・・どん!



 ここ数年のなろう小説の名文をピックアップする(ワイワイちゃんさんの記事より)
 http://subnacchi.hatenablog.com/entry/2018/01/18/225832



 一読して、かなり笑った。ワイワイちゃんさんの応援しているのか馬鹿にしているのか微妙になってしまう結果論的感じな文章も面白かったし、元ネタも当然面白かった。


 そうかあ!こんなことになってるのかああ。


 しかし、この記事主さんがおっしゃっていることはまさに的を射ていて、


「一番大事なのは、読んでいて不安にならないこと」


なのである。これぞなろう系ラノベの究極目的(笑)そうであれば、すべてが理解できる。


 私の記事ではこれを「多幸感」と表現したのだけれど、やっぱり読者の要求しているものはソコだったのね。


 しかし、これらのなろう系小説の「隠された危険性」についても、同時に記事主さん自身が書いておられるので、そこにも注目しておきたい。


それは


「読み進めるたびに、自分が感情移入している主人公が褒められるので、どんどん自己肯定感がアップする」


 という効果!である。


 これによって精神的充足感が得られるというのだけれど、



あかんあかん!それはあかん!



とつい関西人の松尾はツッコんでしまいそうにもなる。



 だって、


自己肯定感はアップするけれど、自分の中身は「なんにも」アップしてない



のだもの!!!




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 たしかに、現代人が置かれたこのセカイでの身の上は、疲労困憊で過酷に満ちているのだけれど、それを吹き飛ばして全能感を得るだけのツールというのは、どこかに



 ヤバさ



を隠しているような気もする。


 一見、元気にさせてくれるのだけれど、実は根源的な疲労を回復してくれる治療薬ではないエナジードリンクのような効果は、確かになろう系ラノベにあるのかもしれない。


 これは、まさに読むレッドブル!



 しかし、レッドブルの効果は、カフェインによるもので、カフェインだって摂り過ぎたら死ぬわけですから、



「多幸感の摂取しすぎ、全能感の摂取し過ぎには注意しましょう。あなたの健康をそこなう恐れがあります」



という注意点も、必要なのではありますまいか。



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 それはともかく、記事主、ワイワイちゃんさんの解説はおみごと(笑)


 後半はかなり笑えます。


 ・・・・・・え?笑ってはいけないの?

 








2018年1月17日水曜日

文学とラノベの境界線がわかった! ~中学になったらラノベを読んではいけないのか~



 ちょうど1年ほど前に、ある方のツイートで


「中学になったらラノベなんか読むな」


という話が、賛否両論盛り上がったことがあった。


https://news.careerconnection.jp/?p=30733
(元ネタ キャリコネニュースより)



 その時は、ニュースをみても別段ああだこうだ思ったことはなかったのだが、昨日も創作にまつわるあれこれを書いているうちに、ふと思ったことがある。



 ああ、結局のところ、「文学」と「ラノベ」の差、違い、境界線とはココなのではないか!ということだ。





 近年のラノベ、特に「なろう系」のラノベのパターンは、


「主人公は、異世界で力も女性も思いのままのチート能力を持ったものに生まれ変わって活躍する」


というものであるという。



 チート、という言葉は、本来は「ズル」や「不正」を意味するように、


現実世界ではありえないくらい全てを手にしちゃう主人公がウハウハ


なのがウケるというのである。





 こうなる側面はわからんでもない。現実社会でも、実際の労働とは無関係のところで、


「ビットコインで億り人でウハウハだ!」


という話がウケているし、自分もそうなりたい!と願う人がわんさかいる。まるでラノベである。





 また、その昔、ある女の子に小説を書いてほしいと頼まれた際にも、


「現実では望むべくもないけれど、物語の世界では幸せにあの人と結ばれる話にしてください」


と言われたことがあった。 なるほど、それを突き詰めれば、読んで多幸感を得られるのは、異世界成功小説ということになるのはある程度いたし方ないだろう、とも思う。



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 しかし、それではなぜ、中学生はラノベを読んではいけないのだろうか。もちろん、最初の元ネタの人だって、「ラノベ」をひとくくりにしてダメだしをしているわけではない。


 その問題提起は、ちょうどこの↑直前に出てきていて、つまりは


「中学生になったら、多幸感だけを得られる物語を読むのは危険なのではないか」


という意味合いなのである。




 近年の「なろう系」ラノベの特徴は、徹底した「多幸感」の追及であり、そこに「挫折や停滞」の要素があると、瞬時に読者から批判が飛んでくるという。




 もちろん、個人的にはこのことそのものを問題視してはいない。だって、小説を書いてほしいと願った女の子に書き上げた物語に、好いた異性との「挫折」「停滞」シーンがあって、それがリアルな傷口を広げるハメになるのであれば、あえてそれを入れないということは、別におかしなことではないからである。

 

 だいたい、「暴れん坊将軍」やら「遠山の金さん」は、挫折もしないし苦悩もしない。周囲のものはえらくひどい目に合うことはあるが、主人公たちはアメコミヒーローも含めて常に最強なのである。そういう作品が世にあることそのものは、けして間違いとは言えないわけだ。 徹底した正義の追及だってかまわないのだ。



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 こうしたことから、単なるラノベ批判は別にして、いわゆる「文学・ブンガク」らしきものと、なろう系寄りの「ラノベ」にはどこに違いがあるのか、ということが浮き彫りになってくる。



 まとめると、


「人生における挫折・停滞・苦悩・ネガティブ体験を含む苦痛」




「人生における挫折・停滞・苦悩・ネガティブ体験を含まない成功」



の差異である。




 ざくざくざっくり言えば、


「挫折と苦悩を読書によって追体験できるのが文学」


であり、


「成功と多幸感を読書によって追体験するのがラノベ」


なのかもしれない。



 もう少し高度な分類をすると以下のようになる。



■1類 読者が体験できる(追体験が容易な)成功譚

 → 一般小説 若者向けならばジュブナイルや青春小説と呼ばれるもの




■2類 読者が体験できない(追体験が困難な)挫折譚

 →  SFやハードボイルドなど




■3類 読者が体験できる(追体験が容易な)挫折譚

 → 文学 と呼ばれるもの あるいは純文学




■4類 読者が体験できない(追体験が困難な)成功譚

 → ラノベ あるいはマンガチックだと言われるもの




 もちろん、成功譚と挫折譚を物語の結末だけで判断するのも難しいし、ラノベに挫折が出てきたらラノベでないのか、とかそういうややこしい話にはするつもりはないのだが、ざくざくっとイメージを捉えれば上のようになるだろう。



 ハリーポッターなどのファンタジーは、魔法が登場する時点で追体験不可能な話であり、ポッターの挫折と成長は、最後は成功を収めるものの、途中がけっこうしんどいので2類でカテゴライズできる。

 そういう意味では、中東のテロリストと戦う傭兵の話なんかは、日本人の普通の人間にとっては2類だが、イギリスの軍人にとっては追体験できるので一般小説であり、ファンタジーではない。


 しかし、イギリスの軍人が傭兵となってテロリストと戦い、苦悩のうちに死んでいく回想録は、ヨーロッパではおそらく「文学」であると受け止められるだろう。映画で言えば、プラトーンの世界だ。


 夏目漱石がなぜ文学なのかと言えば、明治時代で文明開化してすぐなのに、「日本人として生きる上での悩み」を描いたから「こころ」や「それから」は文学なのである。逆に「坊ちゃん」がなぜ文学でないのかは、挫折文学ではなく、むしろ成長文学・成功文学なので1類なのだ。


 ヤミ金ウシジマくんは、マンガではあるものの、「体験できるがおなじ体験はしたくない」というギリギリラインを攻めているので、半ば文学であり、半ば通俗小説である。でもまあ、個人的には、文学的要素が詰まっていると思う。




 体験できるかどうかが重要なのは、読者と物語の間に「共感性」が生まれるかどうかと関わるからである。



 小説とは、個人の体験や考えを万人のものとする

 
ための技術やメディアであるから、共感されるかどうかは、大きなツボとなるのは自明であろう。



 そして最後のラノベ。異世界や起こりえない世界の上で起こることや、たとえ実際の世界が舞台でも追体験しにくい出来事で構成されて、なおかつ成功譚であることは、ラノベである。


 たとえば挫折しないワンピースとか、敵が弱すぎるドラゴンボールだったりすれば、もはやそれらはラノベであると断言してもよいのだ(笑)


 「君の名は」がラノベ臭を漂わせているのは「あまり挫折しなくて、かつあり得ない話」だからである。


 「エヴァンゲリオン」は「体験不能な挫折譚」なので、文学まで昇華されずSFで持ちこたえている(笑)


 「涼宮ハルヒの憂鬱」は、宇宙人や未来人と逢えない点で「体験不能」であり、実はキョンくんはほとんど挫折も成長もしていないので、やはり「ラノベ」である。



 ちなみにカフカの「変身」は人が意味なく虫になってしまうという「体験不能な世界であり、かつ挫折譚である」から文学ではなくSFである(笑)



 え?きめつけ??(^^;;


 
 しかし、人間には「体験しえないものを空想する力」というものがあるので、


「ある日キモイ虫に生まれ変わっていた」というカフカの変身を


「ある日、キモイ生き物のごとき引きこもりになった」とか

「ある日、ばい菌のような存在に生まれ変わった」とか

「ある日、ゴキブリ野郎もしくはヒキニートになっていた」とか


そういうある種のたとえのように受け止めること(つまり共感)ができれば、これは文学に変容するのかもしれない。



 なので、「逃げちゃだめな少年」という設定において共感したり、「父と子と軋轢」という関係性において共感できる人間にとっては、エヴァは文学足りうるということになるのだろう。


 


 
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 というわけで芥川賞を狙うなら、市井の人がぐっといろいろ苦しむ話をかけばいいらしぞ。ぐはははは。



 そして、直木賞なら、市井の人がいろいろ頑張る話をかけばばっちりだそうだ。ぬはははは。















"Important updates to the YouTube Partner Program" というメールが届いたら。 ~youtubeパートナープログラム変更だってよ!~


 2018年の2月からyoutubeのパートナープログラムの規約変わり、新規にポッと出のユーチューバーには成りにくい仕様へと変更されるようだ。



 というわけで、現在は小額でもパートナープログラムが生きているチャンネルの持ち主さんにも、新しいルールが適用されるよ、というメールが届き始めている。



 YouTubeパートナープログラムの概要
https://support.google.com/youtube/answer/72851?hl=ja


 というところで詳細が載っているが、さらに詳しいことはリンク先を見るように指示される。


 で、そのリンク先は英語なので、読みづらい(苦笑)




 また、変更の該当者にも、

  Important updates to the YouTube Partner Program  


という表題のメールが届くようになっている。これも内容は英語だけれど、ポイントは簡単なのでしっかり押さえておこう。



ポイントは2つ。


 過去12ヶ月の再生時間数が4000時間を超えていること


 チャンネル登録者が1000人を超えていること



これだけ。しかし、これを満たしていないと動画の収益ができなくなり、かつ参加停止になってから30日経たないと再度申し込みができなくなる。




 認定されるには1ヶ月の猶予があるが、それだけの期間ですぐに登録者1000人超えとか4000時間再生は難しいので、



 時間をかけてチャンネルを育ててゆくしかない



と思われる。youtuberになるためのスタートが、楽ではなくなったということかな。



 ちなみに2017年4月から、総再生1万回未満のチャンネルにも広告が表示されていないので、これもひとつのしばりとなっている。






2018年1月16日火曜日

ストーリー不要の時代 を読んで (創作はどこへいく?!)



 近年、創作界隈やら、クリエーター界隈がどうもおかしい、という話はよく聞いているし、自分でもなんとなくは実感していたのだが、とあるはてなの匿名記事で、このへんの


「もやもや」


をまとめてくれているものがあったので、紹介しておく。



 ストーリー不要の時代
 https://anond.hatelabo.jp/20180116071707



 この記事主は、おそらくはプロのライターさんで自称ではあるが、ある程度の実績がある方だと思われる。私なんかは、最初から最後まで「なんちゃって」の領域を出ないが、それでもこの名前以外では、いちおう書き物まがいのことやものづくりまがいのことはしているし、


「気持ちは創作家」


でありたい!という気概は忘れていないつもりである。



 記事の内容は、簡単である。


 物語性が無くなってしまった、それだけ。



 小説にしてもゲームにしても、「ストーリー性」なるものが失われて、どちらかというとその場その場で短く、簡単で、瞬間的に楽しい創作物が消費されている、といことである。


 記事の中では、たとえば、アニメでは「ポプテピピック」が触れられていたが、復活した「おそ松さん」なんかも同系統であろう。

 ゲームでは「白猫」や「モンスト」「つむつむ」なんかも、基本は一回戦の果てしない繰り返しである。古い話でごめんねだが、「トルネコの大冒険」やら「風来のシレン」じゃないんだから、一回生成の無限ダンジョンみたいなゲーム、ということでもある。


 ラノベとなろう系小説で言えば、もっとものすごいことになっているらしい。まあ、このあたりは、いちおう作家になりたかった症候群のおっさんとしては、語れば語るほどがっくり膝をつかねばならんので、黙っておくことにするが。



 ところが、こうした事態を最初のうちは理解できなかったのだけれど、あるとき


「韓国ではすでにKポップは消費して垂れ流すもので、CDを買ったりするものではない


という事情をなにかで読んで、なるほどと得心したものである。


 日本人は、まだまだギリギリ、CDを買いたい年代が存在するが、韓国ではすでに、つぎからつぎへと新しく出てくる楽曲を、その瞬間ごとに楽しむものになっているそうだ。


 日本では相変わらず、春になれば「桜」やら「3月9日」やら、夏になれば「TUBE」や「サザン」やら、スキー場では「広瀬香美」が恋しくなるというのに、である。


  たしかに、ここ数年、日本でもヒット曲がまったく出ていない。オリコンのランキングではそれなりに上位の楽曲も書いてはあるが、それらをほとんど聴くことがないのは、どういうことなのか。


 いやはや、日本も、楽曲消費社会へと以降しつつあるようだ。



 さて、この記事主さんが、嗚咽するようなニュースが、入ってきたばかりである。


 セカイノオワリのさおりさんの小説が、直木賞にノミネートされたというではないか。


 いや、いいのよ。彼女の作品がおそらく良いものであろうことはそれはそれでいいの。


 でも、文学界の潮流も、「やはり売れるもの、売れる要素を持つもの」へとシフトしていることは、こりゃもう誰もが気づいてしまったわけで。


 ネタ元も、ましてや受け手もそれでいい、と思って創作物が流通するんだったら、もはやこれは抗えないことなんだろうなあ、と一介のおっさんは思うわけで。



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 ちなみに記事主さんもちょっと言及しているけれど、私はすでに「儲からないけど、個人個人が喜んでもらえるための創作物」へと作るものをシフトしている。


 成果物は正直に言って1000円から5000円くらい。それを個人個人にカスタマイズして、文章やらモノやらでお届けする仕事をやりはじめているのである。


 金額が低いから儲からない。でも、考え方を変えて、1部1000円で、1万部の印税10%の金額が、100万円なのだとしたら。1000円印税100%なら、 1000部売ればいいわけ。


 それでも思うのは、きっと


「やりがいがあるのと食べていくことは違う」


とか


「好きなことを望むようにできる時代は終わった」


のだろうなあ、ということ。


 あ、今テレビ局のディレクターさんから電話かかってきたので、新たな創作ネタに入ります。