2013年8月5日月曜日

【松尾バイトの「クリエータ入門講座」夏休み編1】 人はなぜ創作するのか クリエイティブに生きたい理由





 こんにちは


 前回までの「クリエータ入門講座」第一章が一段落したので、後期へ移る前に、少し四方山話をしておこうと思います。





 そもそも人が「創作をする」「クリエイティブなことを行う」というのは、「なぜ」なのでしょう。


 みなさんは、自分がモノづくりに傾倒している理由、について自問してみたことがありますか?


 



 私の場合は、とにかく小さい時から、自分(の中の何か)を表現することが好きだったように思います。




 幼稚園へ入る前の年(私の地域の幼稚園は1年制でしたから、5歳の時ですね)、MBS毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」という番組に電話出演して、「今度家族で旅行に行く」という話を嬉しそうにパーソナリティに話している録音が残っていますから、当時はとても喋るのが好きな子供だったのでしょう。


 当時のラジオ放送がテープに残っているのですが、あのねのねの原田伸郎さんと大津びわ子さん相手に、いっちょ前に好き放題喋っているのが、面白いやら恥ずかしいやら。



 昭和50年代のヤンタンといえば、一世を風靡したラジオ番組ですので、それはもういきなりメジャー体験をした、と言っていいかもしれません。


 恐らく、MBSの放送史の中でも、最年少に近いラジオ出演だったのではないでしょうか。


 

 そんな私は小学校に入ると、小説ばかり書くようになりました。もちろん、本を読むのが好きだったのは間違いないのですが、その当時の私にとって「書く」という作業は、お金がかからず、設備投資が全くいらない創作術だったのです。


 後に私は映像作品をたくさん撮るようになりますが、これは社会人になってお金ができたから可能になったわけで、カメラや機材にお金がかけられない間は、やっぱり書くことしかできなかったように思います。


 大学生になると、ギターを弾いたり、音楽という表現方法にも触れるようになります。このあたりは、今にも繋がっています。


 

 しかし、方法は何であれ、とにかく私は「表現がしたかった」のには間違いないと思います。


 でも、一体なぜ?なんのために表現したかったのでしょう。




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小中学生の頃、私は「作家というものは自殺するものだ」と勝手に解釈していました(笑)


太宰治じゃないけれど、作家の究極形はやっぱり自分と極限まで対峙しての自殺だよね、となんとなく思っていました。


今となっては「なんで死ななあかんねん!」と一笑に付してしまうところですが、子供ながらに、文筆を通じて人の極限の姿を追求してしまったら、そこにある種の限界点のような恐ろしいエリアがあるのではないか、と怖がっていたのかもしれません。


あるいは、今でも三島由紀夫の死に、そうした何かを解釈する向きもありますから、一概に「作家たるもの自ら死すべし」というのは、ハズレでもない気がします(苦笑)




それはまあ、置いておくとしても、死という視点は、悪くないと思います。つまり、創作とは「自分の生の証を残すこと」という側面が大きいからです。


長い人生を歩んでこられた老人が、自分史を残したいと思ったりするのもそれですね。


歴史上有名な建築物が「あれは○○という江戸時代の有名な大工が建てたんだ」なんて、今でも言われたりするのもそうです。


人は必ず死にますから、それまでの間に、生きた証としての何か創作物を残したい、というのは本能的なものかもしれないですね。


芸術家を自称する人たちが、「自分が生きている間に理解されなくてもいい」なんて思うのも、死後の作品を意識しての発言だと思います。





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また、創作には「あるべき自分の姿と、現実の自分の姿のギャップ」という視点も必要です。現状に完全に満足している人よりも、自分の状況に不満がある人の方が、創作的であるかもしれません。


それは、現状を打破するための湧き出す力が、作品にこもっていることがあるからです。


「社会的な自分はこんなんだけれど、創作的な自分にはこれだけの力がある」


という怨念めいたものが秘められている場合もあるでしょう。


 会社勤めをしながら、創作に励む人が多いのもそうした理由があると思います。日常は抑圧されていても、創作の時間だけは自由になれる、という幸せだって、全然OKですよね。



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「創作」=作るという現象を考えたときに、一度概論を知っておくほうがよい学問があります。


 大学生だった人は、一般教養の授業で習ったことがあるかもしれませんが、高卒の人と専門学校卒の人は、おそらく知らないと思うので紹介しておきます。


 ヨハン・ホイジンガというオランダのおっさんが唱えた理論に「ホモ・ルーデンス」という考え方があります。


 ホモ、といっても性的な意味ではありません(笑) ホモ・サピエンスとかのホモです。つまり、ヒト。


 

 ホイジンガのおっさんは、ヒトというのは仕事としてのモノ作りよりも「遊び」を前提に何かを起こす、と考えました。


 つまり、ホモ・ファーベル(作るヒト)よりホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)という存在を根っこに捉えたのです。



 ホイジンガ的に考えれば、私たちが創作する理由は「なんてったって、面白いから!」でもあります。


 生産的でなくても、お金にならなくても、楽しいから作ってしまう、という部分は確かにあります。


 それが成果に結びつかなくても、夢中になって作ってしまうのも、創作の重要な部分です。





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 いろいろ考えてきましたが、みなさんは「なぜ」クリエイティブなことに夢中になるのでしょうか?


 あなたが創作する理由をぜひ、教えてくださいね。


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