2012年4月17日火曜日
松尾バイトの「zine学」入門 その2「アナログなものを求めるこころ」
みなさんこんばんは
Zineとzineっぽいものにまつわるいろんなお話を進めている「zine学入門」のコーナーですが、今日は手作りの本の「良さ」の理由を考察してゆきます。
インターネットが広まって、世界はデジタルで満たされていますが、zine好きな人は、もともとから「本そのもの」や「紙そのもの」が好きだ、という方が多いように思います。
なので、デジタルばりばりのDTPで制作されたzineやリトルプレスもいいけれど、手描き感のあるアナログなものもいいなあ、とどこかで思っていらっしゃる人も多いのではないでしょうか?
出版社などを介さない「手作りの本」であるzineの良さ・魅力とアナログなものを求めるこころはどこかで繋がっていて、そしてそう感じるのにはちゃんと理由がある、というのが今回の講義のポイントです。
芸術論や情報科学の分野で、避けては通れない評論の傑作に
ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)さん
の「複製技術時代の芸術」という有名なものがあります。
タイトルを見ればなんとなく、話の筋が見えてきそうな感じがしますが、そう!現代は複製されたもので溢れているよね、というところが導入部分。
デジタル一辺倒の現代においては、目の前にあるすべてのデータが複製品だといっても過言ではありません。あなたの目の前のモニターに「唯一無二のオリジナル」が映し出されることなんて絶対になく、それらはすべてコピーに過ぎません。
さすがにベンヤミンさんの時代には、デジタル複製品はまだ登場していませんが、絵画にしても出版にしても写真にしても、それまで「オリジナル」しかなかったものが、にわかに「複製品」として大量簡単に出回るようになったことに対しての様々な気持ちが沸き起こったのは想像に難くありません。
ベンヤミンさんは、「優れた芸術に対する畏怖や崇敬の感覚」というものを「アウラ」という言葉で説きました。ざっくり言えば、オーラです。
すごい芸術には、オーラがあるよね。でも、それを複製して載せた本や、その絵を写した写真には、オーラがないんだよ。
という話です(笑)
つまり、私たちがデジタルデータよりも本、それも手作り本に対して何かを感じるのはこの「アウラ」みたいなものがそこにあるから、というわけです。
作り手から直に発せられたオリジナルに近い何か、(たとえそれが量産されたzineであっても)それがモノから伝わってくる、という感じでしょうか(^^
絵画が好きな人は、有名な絵描きさんの「版画」のようなものを見たり買ったりなさったことがあるかもしれませんが、もちろん「原画」には価値があり、そして、その版画にも「15/300」のようなナンバリングが施されているのをご存知だと思います。
複製品であっても、そこに「なんらかの唯一無二の絶対性のかけらを見出したい」というのは、人の根源的な欲求なのかもしれません。
そこで、zineの作り手たちは「あの手この手」でそのzineに「アウラ」を込めようと頑張ります。
表紙に他ではあまり手に入らない紙を使ってみるとか、印刷技法にこだわるとか、手彫りの消しゴムはんこを利用するとか、おまけをつけるとか、マスキングテープを貼るとか・・・。
そこにモノが確かに存在している、というリアリティを込めてzineは制作されます。
「zineで手に入れてもいいし、別にPDFでもいいよ。どっちでも」
という作り方は、もしかしたらあまり好まれないかもしれません(笑)
ゲイツとジョブズが切り開いたデジタルが支配する世界は、ベンヤミンが予見した、まさに「アウラが喪失した世界」です。
スマートフォンと電子書籍が日本市場で花開くこの2011年~2012年に、ちょびっと草の根なカルチャーとしてzine文化も同じく流行しているのは、実は関係のある事象だと言えるでしょう。
電子書籍とzineは、アウラを巡るそれぞれが「アンチテーゼとしての戦い」でもあるわけです(^^
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