2014年1月9日木曜日

【松尾バイトの「クリエータ養成講座」5.5】  あなたは誰に認められたいのか?



こんばんは


 昨日の記事でまるっとごりっと問題提起をした私ですが、今日はちょびっとだけ解答編。
 創作者として「アナタ・ワタシは誰の承認を得たいのか?」という根源的な問題ですが、実は悩んでもがいた挙句の答えはすごく単純だったりします。


 まず、もっとも究極な答えは
 「それは自分自身である」
ということに他なりません。


 ゲージツは、他者を対象にしているようでいて、実は自分自身の納得との戦いです。だから、答えは「オレ・あたし」でいいのです。
 ところが、これが一番たいへん。自分の創作・じぶんのやっていることを自分で完全に認めるには、ものすごい労力がかかります。
 ある人は、時間をかけて納得してゆくでしょうし、ある人は手間をかけて、そしてまたある人は、突き詰めてつきつめて自問自答して見出してゆきます。
 だから、これは「悟りをひらけ」といっているのに、かなり近い。


 なので、凡人はまず、他者の承認から入るのです。
 「おとうちゃんに認めてもらった」「おかあさんが応援してくれてる」「ともだちにいいね、って言われた」などの身近な人の承認が、まずは容易いところでしょう。
 それから、知らない他者からコメントをもらったり、賞をとったりしながら、人は他者からの承認を「自分の中に納得させてゆく」のです。
 ああ、みんなからも承認されているらしいので、自分でもようやく自分を認められそうだ、と。


 ビジネスの世界では、逆にあえてターゲットを絞ることで、商品を知ってもらう、認めてもらう、ということを計画します。
 すべての人に受け入れられることは難しいけれど、「OLさん向け」とか「老人向け」とかそういう風に対象を絞ると承認を得易くなるからです。


 ゲージツにおいても、営業的にはおんなじで、だからこそ「純文学」と「大衆小説」と「ライトノベル」はジャンルが分かれているのです。
 究極的芸術的価値において、吉川英司と村上春樹と田中芳樹のどれがすごいか、と問われても、わからんでしょ?
 結論はどれもすごいんです。
 けして、村上春樹だけが芸術なわけではありません。「宮本武蔵」は史実としてはうそばっかり書いてありますが、今や史実を乗り越えているし、「銀河英雄伝説」はすでに「伝説」の領域です(笑)


 漫画で言えば、「ドラゴンボール」と「ねじ式」と「ガラスの仮面」のどれが芸術かってことです。
 結論は、どれも芸術です。ねじ式に引っ張られる人はちょっとガロなだけで、美内すずえファンに至っては、もう生きてる間に完結するのか?って感じです。もちろん、鳥山先生の影響力は絶大です。
 話がわけのわからん方向へ行きましたが、わたしはやっぱり「パタリロ」のファンです。ちゃんちゃん。
 

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