2011年12月9日金曜日
幸せになるのは簡単。 (つづき)
こんばんは 幸せは忘れたことにやってくる松尾バイトです。
昨日幸せについてあれこれ考えたので、その続きを。
一気に難しくなりますが、「幸せ」の本質は「個人善と社会善が合致すること」だとも思っている私です。
(昨日はわかりやすかったのに、今日はわかりにくいね)
個人善というのは、平たく言えば、「自分がこうなったらいいなと思う状態」かな。個人的なレベルで「これが良い状態、善い状態」だと思う状況のことです。
社会善はこんどは自分じゃなくて「自分を取り巻く環境・社会が良い・善いとする状態」のことです。
ちなみに、個人善とか社会善って、ここだけの用語ということで!
さあ、たとえ話します。
赤ちゃんがお腹が空いています。赤ちゃんにとって個人善は「おなかがいっぱいになっている状態」ですね。それが「良い状態」です。
だからそれを目指してアクションを起こします。つまり泣きます。
そうするとお母さんがおっぱいをくれるので、環境(社会)であるお母さんのほうも「おっぱいをあげること」が良いことだから二人の気持ちは合致します。
赤ちゃんの「個人善」も、お母さんの「社会善」もおなじ方向へ向いているので、赤ちゃんは幸せです。
このとき、個人善を実現するために、赤ちゃんは泣くというアクションをします。そして、結果として社会善が実現します。
個人善を希望する → 実現のためにアクションを起こす → 社会善が実行される →それが個人善と一致する → 幸せの実現
という流れですね。
このとき、アクションは一般的な感覚で見て「いいことであっても、わるいことでも、心地よいことであっても、不快なことでも、ぜんぜんかまわない」という事実があります。
ここ大事。
赤ちゃんにとって、泣くことは自分も回りも「不快」なことです。本人も苦しそうだし、周りから聞いていても心地よい音ではありません。
だから、幸せを実現するために「苦しい・いやなアクション」があってもかまわないということです。
もちろん、心地よいアクションをしてもいいです。赤ちゃんが笑えば周囲はかまってくれます。赤ちゃんも嬉しいし、周りも嬉しいですよね。「幸せ」を手に入れるアクションは、心地よいことでもいやなことでも、どっちゃでもええのです。
____
さて、「個人善」の実現をしようとアクションをしても、「社会善」がそれと一致しなければ不幸が起こります。
赤ちゃんはおむつが汚れているから換えてほしいのに、おかあさんが「おっぱいをあげるのが良いことだわ」と思っていると、どちらも幸せを望んでいるのに、いつまでたっても赤ちゃんは泣きやみません。
個人善と社会善が一致しない、どちらも「よい状態になりたい」と思っているのにかなわない不幸がこうして起こります。
なぜ、この話で「社会善」というまったく外部の要因を挙げたかというと、人が幸せになりたいと思ったとき、この「社会善」というのは相手の考えること、あるいは社会や環境が考えることなので、
コントロールできないこと
であることに気付くためです。
人が自分でコントロールできるのは
①「個人善」そのものの定義
と
②「その実現のためのアクションの方法」
だけであって、
③「社会善」は自分ではコントロール不可能
であることが大事なのです。
つまり、人が自分の力で幸せになるには
「個人善」をどこに設定するか、と「アクション」をどうとるか、の二つの方法しかないということです。
「社会・周囲がこうあってくれたらいいのに」とか「相手にこうしてほしい」という考えは、最初から無駄なのです。
だからいろんな宗教とか、自己啓発セミナーとかでは「あなたが変われば周囲が変わる」みたいな言い方をするわけですね(笑)
そこについては、ある意味正しいわけです。
さて、個人善がでかい人は、欲望がでかい人ですから、てっとり早く幸せになるには、個人善のレベルを下げたらいいということになります。
要求度合いを下げるんですね、「こうあったらいいな」という状態を減らすということです。
これの究極が仏教(^^;
「煩悩を捨てなさい」というのは、「個人善」をゼロにしたらいいんじゃない?ということです。
周りがなにも実現してくれなくても、そもそも個人善の要求が低い(っていうか悟りを開いたらゼロだし)ので、幸せになりやすい(笑)
ちなみにキリスト教のほうは、すべて捨てろというよりかは、アクションを変えなさい、に近いような気がします。
右ほほをぶたれたら左も出しなさい(アクション)
相手がしてほしいと思うことをしてあげなさい(アクション)
あなたの隣人を愛しなさい(社会善に自分を合わせなさい)(アクション)
ほら、おおまかには宗教も「個人善」と「アクション」のコントロールで幸せをつかむテクニックなんだということがわかりますよね?
長くなりそうなので、つづきはまた。
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