こんばんは
そろそろ更新したいのですが、公私ともに忙しくてなかなか時間を取れていません。ごめんなさい。
さて、今日は心がホットなうちにメモ代わりに書いておきたかったので、こんな話を。
「泣くな、はらちゃん」という長瀬君主演のドラマが人気ですが、
http://www.ntv.co.jp/harachan/
私も、ずっと気に入って見ています(^^
今日は、最終回直前の第9回ですが、いろいろ思うところがあった強烈な回でした(><;
簡単に流れを説明しておくと、漫画の世界から飛び出してきた「はらちゃん」たちが、現実世界の嫌な部分や苦しい部分に触れて思い悩む回で、作者の越前さんは、彼らをもとの漫画の世界に帰す決断をするわけなんですが、「はらちゃん」と両思いである越前さんは、自分を漫画の中に描きこむことで、現実世界から逆に漫画の世界へ行ってしまう、という衝撃のラストだったわけです。
当然、越前さんは現実の世界からは消えてしまいます。さあ、残された人たちはどうするのか、ということで最終回へと突入することと相成ります。
このアイデア・展開というのは、ほとんどの人が予想していなかっただろうし、私もかなりびっくりして見ていました。思わず泣いてしまいましたが、同時に
「ああ、これは強烈な投げかけをしたなあ」
とも思って身震いがしたわけです。
_______
「はらちゃん」がセカイに投げかけたものは、何か。それは、あのアニメ「エヴァンゲリオン」に通じるところがあります。
私はアニメ評論家ではないので、ざっくりとしたまとめになりますが、エヴァというアニメは、現実世界でいろいろな問題を抱えた登場人物たちが、「使徒」との戦いにおいて「逃げちゃだめだ」というファイティングポーズをとっているうちは許される、という話だと勝手に解釈しています。
エヴァ以前とエヴァ以後では、この世界での生き方において大きな違いがあって、エヴァ以前の物語の記号では常に「私たちは、現実世界で戦っていかねばならない」という大命題があったのですが、エヴァ以降は、現実世界はどうあれ、「とあるセカイにおいて戦っている自分が真実で、現実世界の自分とはズレがあってもかまわない」みたいな感覚が生まれたような気がしています。
エヴァの登場人物は、日常世界ではそれぞれいろいろな精神的問題やトラウマを抱えた人物たちで、大人も子供もそういう屈折した環境に身を置いているのですが、使徒との戦いにおいてそういう側面が保留されていく部分があります。
もちろん、エヴァが投げかけた問題「現実世界を保留にして、とりあえずのファイティングポーズをとっていれば許されるのか」という点については、実ははっきり解決しておらず、監督さんは自分なりの提案をしていらっしゃるらしいのですが、それがイマイチ受け手に伝わっていない、という問題が起きています。
だからこそ、いまだにリメイクして新作を作らなくてはならないわけですね。
_______
翻って「はらちゃん」の話です。はらちゃん、の登場人物もエヴァ同様に全員が精神的問題を抱えています。
主人公の越前さん自身が「ネガティブのかたまり」みたいな人だし、悪魔さんや、田中さんも、卑屈な部分、ややこしい部分が描かれています。弟もニートだし、生前のたまちゃん(工場長)も、一人ぼっちで天涯孤独だということが、以前に台詞で描かれていました。パートさんたちも、嫌がらせがあったり、いろいろとややこしそうです。
今回にいたっては、百合子さん(神様の神様)も、町から逃げ出そうとするし、つまり、全員実はネガティバーで問題を抱えているわけです。
さあ、そういう「世界」に対して、今回の越前さんは「漫画のセカイに逃げ込んで、現実世界からは逃避する」という提案をしたわけです。
この世界はろくでもないから、創作の中のセカイに逃げ込んでもいいんだ。
という提案。これは強烈です。「逃げちゃだめだ」といいながら逃げまくっているシンジくんよりも、はるかに直球でもあります。
いやいや、それでいいのか?!
そういう提案を仮にしてしまった以上、「泣くな、はらちゃん」最終回では、きちんとした結論がほしい、と思ってしまうわけですね。個人的に(^^;
おいおい、これでエヴァみたいなわかりにくいオチだと、現実世界に悲観して死んでしまう人間が出てくるなあ、と思ってしまうわけで。
小説の世界に生きて、現実から死ぬなんて、太宰や三島じゃないんだから、一昔前の作家観みたいになってしまう・・・。
エヴァにおいて、作者が伝えたかったメッセージは「おまえらアニメばっかり見てないで現実に戻れ!」ということだったらしいです。
なので、初期版の映画では、終盤に突然実写映像が流れて、映画館でそれを見ている「おまえら」自身の姿を映す、というかなりトリッキーなことをやっています。
実は、はらちゃんでも同じ手法がとられていて、前回の第8回の終盤で、物語の世界の中に突然、実際の戦争のシーン、先日の震災のシーンが流れるというきわどい演出がされています。
あのシーンをみて「あ、これはエヴァだ」と思った人も、多いようですね。
さて、「はらちゃん」最終回はどうなることでしょう。越前さんに「漫画のセカイに逃げ込むな」というメッセージを突きつけるのか、あるいはまったく予想外の展開になるのか。
2013年のエヴァになりそうな「泣くな、はらちゃん」最終回に期待しています。
そろそろ更新したいのですが、公私ともに忙しくてなかなか時間を取れていません。ごめんなさい。
さて、今日は心がホットなうちにメモ代わりに書いておきたかったので、こんな話を。
「泣くな、はらちゃん」という長瀬君主演のドラマが人気ですが、
http://www.ntv.co.jp/harachan/
私も、ずっと気に入って見ています(^^
今日は、最終回直前の第9回ですが、いろいろ思うところがあった強烈な回でした(><;
簡単に流れを説明しておくと、漫画の世界から飛び出してきた「はらちゃん」たちが、現実世界の嫌な部分や苦しい部分に触れて思い悩む回で、作者の越前さんは、彼らをもとの漫画の世界に帰す決断をするわけなんですが、「はらちゃん」と両思いである越前さんは、自分を漫画の中に描きこむことで、現実世界から逆に漫画の世界へ行ってしまう、という衝撃のラストだったわけです。
当然、越前さんは現実の世界からは消えてしまいます。さあ、残された人たちはどうするのか、ということで最終回へと突入することと相成ります。
このアイデア・展開というのは、ほとんどの人が予想していなかっただろうし、私もかなりびっくりして見ていました。思わず泣いてしまいましたが、同時に
「ああ、これは強烈な投げかけをしたなあ」
とも思って身震いがしたわけです。
_______
「はらちゃん」がセカイに投げかけたものは、何か。それは、あのアニメ「エヴァンゲリオン」に通じるところがあります。
私はアニメ評論家ではないので、ざっくりとしたまとめになりますが、エヴァというアニメは、現実世界でいろいろな問題を抱えた登場人物たちが、「使徒」との戦いにおいて「逃げちゃだめだ」というファイティングポーズをとっているうちは許される、という話だと勝手に解釈しています。
エヴァ以前とエヴァ以後では、この世界での生き方において大きな違いがあって、エヴァ以前の物語の記号では常に「私たちは、現実世界で戦っていかねばならない」という大命題があったのですが、エヴァ以降は、現実世界はどうあれ、「とあるセカイにおいて戦っている自分が真実で、現実世界の自分とはズレがあってもかまわない」みたいな感覚が生まれたような気がしています。
エヴァの登場人物は、日常世界ではそれぞれいろいろな精神的問題やトラウマを抱えた人物たちで、大人も子供もそういう屈折した環境に身を置いているのですが、使徒との戦いにおいてそういう側面が保留されていく部分があります。
もちろん、エヴァが投げかけた問題「現実世界を保留にして、とりあえずのファイティングポーズをとっていれば許されるのか」という点については、実ははっきり解決しておらず、監督さんは自分なりの提案をしていらっしゃるらしいのですが、それがイマイチ受け手に伝わっていない、という問題が起きています。
だからこそ、いまだにリメイクして新作を作らなくてはならないわけですね。
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翻って「はらちゃん」の話です。はらちゃん、の登場人物もエヴァ同様に全員が精神的問題を抱えています。
主人公の越前さん自身が「ネガティブのかたまり」みたいな人だし、悪魔さんや、田中さんも、卑屈な部分、ややこしい部分が描かれています。弟もニートだし、生前のたまちゃん(工場長)も、一人ぼっちで天涯孤独だということが、以前に台詞で描かれていました。パートさんたちも、嫌がらせがあったり、いろいろとややこしそうです。
今回にいたっては、百合子さん(神様の神様)も、町から逃げ出そうとするし、つまり、全員実はネガティバーで問題を抱えているわけです。
さあ、そういう「世界」に対して、今回の越前さんは「漫画のセカイに逃げ込んで、現実世界からは逃避する」という提案をしたわけです。
この世界はろくでもないから、創作の中のセカイに逃げ込んでもいいんだ。
という提案。これは強烈です。「逃げちゃだめだ」といいながら逃げまくっているシンジくんよりも、はるかに直球でもあります。
いやいや、それでいいのか?!
そういう提案を仮にしてしまった以上、「泣くな、はらちゃん」最終回では、きちんとした結論がほしい、と思ってしまうわけですね。個人的に(^^;
おいおい、これでエヴァみたいなわかりにくいオチだと、現実世界に悲観して死んでしまう人間が出てくるなあ、と思ってしまうわけで。
小説の世界に生きて、現実から死ぬなんて、太宰や三島じゃないんだから、一昔前の作家観みたいになってしまう・・・。
エヴァにおいて、作者が伝えたかったメッセージは「おまえらアニメばっかり見てないで現実に戻れ!」ということだったらしいです。
なので、初期版の映画では、終盤に突然実写映像が流れて、映画館でそれを見ている「おまえら」自身の姿を映す、というかなりトリッキーなことをやっています。
実は、はらちゃんでも同じ手法がとられていて、前回の第8回の終盤で、物語の世界の中に突然、実際の戦争のシーン、先日の震災のシーンが流れるというきわどい演出がされています。
あのシーンをみて「あ、これはエヴァだ」と思った人も、多いようですね。
さて、「はらちゃん」最終回はどうなることでしょう。越前さんに「漫画のセカイに逃げ込むな」というメッセージを突きつけるのか、あるいはまったく予想外の展開になるのか。
2013年のエヴァになりそうな「泣くな、はらちゃん」最終回に期待しています。
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