2018年3月9日金曜日
何者かになるということは、何者かでありつづけることである。 ~「野ブタ。をプロデュース」作者の話~
白岩玄という名前を聞いて、私を含めてたいていの人が「誰だっけ」となることは想像に難くない。
この「誰だっけ」という感覚と、その答えを聞いたときの「ああ!」という感覚について、実に的確な考察を白岩玄さん自身が、告白と独白をおりまぜながら書いているのが、とても面白かったので紹介したい。
夜な夜な宇多田ヒカルへファンレターを送る20歳、ある日突然作家になる。
http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018020625311.html
「野ブタ。をプロデュース」の大ヒットがもたらした栄光と苦悩
http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018022637541.html
このブログを書いている松尾バイトは、「誰だっけ」の真骨頂のような存在で、「まだ何者でもない」し、しばらく「何者になる予定」もなさそうな一個人である。
しかし、私の正体を知っている人は、相変わらず個人の私に対して「よ!有名人!」とギャグを交えながら声をかけてくるし(取引先の人に多い)、友達などは「みたよー!」と黄色い声を上げてはくれるので、彼らにとってみてはすでに私は
「何者か」
であるらしい。
実際、この一週間で、私のスマホはピコピコ鳴り続け、ひっきりなしに押し寄せてくる、私へのオファーは二晩で150件にも達した。
彼らにとってもまた、私は何者かであるのだろう。 まるで、なんとかグランプリに優勝した芸人さんの番組終了時のように、私のスマホは鳴りっぱなしである。
よって、私自身は、「何者かになる」ということの意味も知っているし、「何者でもない」ということの意味もよくわかっている。
だからあえて、誰にも知られていないこのブログで好き放題モノローグを吐くのが心地よいのだ。
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「野ブタ。をプロデュース」という物語のことは、少し前にティーンだった人から、ある程度のおっさんまで、誰もが聞き覚えがあるだろう。
しかし、その作者が「白岩玄」さんであったことは、ご本人がご自身でおっしゃっているとおり、誰もが覚えていないに違いない。
その理由はいくつかあって、たしかにその小説はヒットしたのだが、その物語が大ヒットした理由は、
山Pと亀梨くんと掘北真希ちゃん
という、稀代の青春スターが出演したテレビドラマだったからである。
そして既に時代は流れ、山Pはなぜかトラブルを抱え、亀梨くんは亀の格好をさせられ、掘北真希ちゃんは引退してお母さんになってしまったという、それくらい時は過ぎている。
ましてや作者の白岩さんのことなど、誰も覚えておらず当然なのかもしれない。ごめんなさい。
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余談ではあるが、堀北真希ちゃんの演じる「野ブタ」と呼ばれる少女の演技は、
抜群に、それはもうびっくりするほど
上手だった。このことを説明するのは難しいのだが、それほど、挙動不信でびくびくしながら自信なく生きる少女の姿を再現するのがとても上手だったのだ。
そして私はそうした女の子たちと故あって接することが多かったために、彼女の演技を見ながら、
「これは本物以上に、そうした生徒たちの行動や心の動きを再現している」
と感心したものである。その後、その才能にふさわしく、掘北真希ちゃんは、大女優へと上り詰めていったのだが。
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先ほど書いたように、わたくし松尾バイトは、まだ何者でもない。仮に松尾が作家にでもなって、全国でデビューして「何者か」として自分を成したとしよう、しかし、白岩さんと同じことで、いつかはまた何者でもない誰かへと逆戻りしてしまうだろう。
先ほどこれまた書いたように、150件のオファーがあろうが、それらを全て片付けたら、わたしはまたただのおっさんへと逆戻りするのである。
それを知っているから、わたしは別段舞い上がりもしないし、逆に落ち込みもしない。
わたしが何者かになろうが、なるまいが、「わたしはわたし」でしかないのである。しょせん。
芸能人が、芸能人であり続けることが凄いのは、彼らは「何者かになる」という瞬間を継続できるからである。
テレビに出る、番組に出る、ラジオで喋る、雑誌に載る。
それらを、数ヶ月程度で終わらせず、次も、またその次も継続する。それが継続できている間が芸能人なのであり、かつ「何者か」である、ということなのだ。
もし、それを継続することを辞めたり、あるいはできなかったりしたら
「一発屋と呼ばれたり、”あの人は今”に呼ばれたりする」
だけであり、下手すると「あの人は今」の「あの人って誰?」という存在に逆戻りするわけで、これはむしろド素人となんら変わりない。それはそれでまあ、よいのだけれどね。
なので、「何者かになりたい」と思っている若人にアドバイスめいたことがさせてもらえるなら、
「なんでもいいから、それを続けろ」
と言いたい。”それ”のおかげで有名になったり、メシが食えなくてもいい。
それをやり続けている間は、君は必ず、間違いなく「何者か」である、ということは胸を張って後押しできるし、わたしはそれを認めるからだ。
心から応援するし、あなたの味方でいようと思うからだ。
若者はかならず誤解をして、「何者かになる」ということは「有名になること」だと思いがちだけれど、白岩さんのエピソードはそれはたぶん違う、ということを教えてくれる。
「何者かになる」ということは、「何者かでありつづけること」以外にないのだ。
有名になることは、瞬間で、その瞬間をどれだけ継続できるかが「有名であり続けること」なのである。
そんな凄いことができるのはタモリさんかさんまさんぐらいのものである。
島田紳助さんですら、すでにティーンは彼を知らないのだから。
なんなら上岡龍太郎さんでもいいや。
2人とも、「何者かであり続ける」ことから撤退したけれど、幸せに生きておられる。
それもまた人生である。
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